2009年10月28日
傍示越のすぐ傍のコブにきています。ここから市境はゴルフ場の中に入ってしまうので、迂回ルートを歩きます。交野山-白旗池ー枚方市境の三叉路と歩きますが、半分以上は道草です。
より大きな地図で
市境をあるく(とりあえずのまとめ) を表示
2009年10月28日
傍示越のすぐ傍のコブにきています。ここから市境はゴルフ場の中に入ってしまうので、迂回ルートを歩きます。交野山-白旗池ー枚方市境の三叉路と歩きますが、半分以上は道草です。
より大きな地図で
市境をあるく(とりあえずのまとめ) を表示
2012年4月17日
2008年7月 4日
歩き残していた府民の森・星田園地から飯盛霊園を越す峠から下田原の境界まで尾根上を歩きます。
より大きな地図で
市境をあるく(とりあえずのまとめ) を表示
東の尾根すぐの所に関電の鉄塔がありました。関電の巡回路になっているようで歩きやすい道です。
2009年7月 8日
2009年7月11日
2010年4月30日
7月8日、今日は暑い日だったので,夕方16時過ぎからの活動です。どっちみち,前回,歩けない所ばかり残ったので「線より点」ということで,市境スポットを見に行くというスタンスです。
その前に、旧臨港製鉄の西側は、市境が田んぼの中を走っているし、その向こう側は、2009年7月現在、第2京阪の工事中で近寄ることもできません。そこで、第2京阪が完成した後、2010年4月に様子を見に行ったときの写真を上げておきます。
市境をあるく(とりあえずのまとめ) を近場の地図で表示
2009年7月6日
まずは、平地から歩きます。山は秋までお預けです。津田-春日-村野(ここまで枚方地名ばかりですが)-松塚-私部-茄子作(枚方地名)-星田という予定ですが,はたしてうまくいくか?地図を見るかぎり,市境は田んぼの中,工場の真中を通っていますので・・・
2013年9月19日 2013年9月29日
山根街道はさすがに街道の風情で、大和や高野山、大峰山へ向かうため通しであるく街道の性格を持っていたように思います。
それよりもっと山手に古い道があって、山の根の道とか山根の道とか言われています。この道は山麓にできた村々を縫うようにして走っていますが、通しであるく街道というより、村人の生活の道であったように思われます。「ちょっと用事で○○村へ行ってくるわ」として、村から村へ山麓を伝いながら、途中で立ち話をしたり、ついでの用事をすませたり、あるいは行商のおっちゃんが街道を行くよりも近道として歩いたりするような。そんな道のように思います。
太古の昔、二上山からサヌカイトを運んだというのはあったにせよ、それはあまりに昔過ぎて、想像しにくい。
これから長尾を歩きます。長尾峠を越えると八幡で、まもなく山根街道は東高野街道に接続します。長尾は広いですが、いたるところに菅原という名前が出てきます、なぜか。
昔は、交野から長尾にかけた一帯を、交野ヶ原と呼んでいました。ハギやススキが咲き乱れ、散在する池にはカモなどの水鳥が羽を休める静かな地であったと伝えられています・・・と書くといかにも風流ですが、要は丘陵地は荒野で水田もできにくい原だった。
この地を長尾と命名したのは、江戸時代の領主久貝氏だと伝えられています。理由は、河内の北の果ての尾のようなところだからとか。元和元年(1615)大坂落城の後、旗本の久貝因幡守正俊(くがいいなばのかみまさとし)が河州交野郡を拝領し、荒地ではあるが山城との国境で、交通の要所、戦略上の要地であったため、ここに陣屋を営みました。
久貝氏の家来、細谷善兵衛は、当時
13戸の村民や近隣村民を集め、長尾の荒野山林を開拓し新田や畑を造りました。その後、慶安三年(1650年)には
33戸にまで増加し、そこで、長岡天神の分霊を受けて「菅原天神」の建立しました。これが長尾の菅原神社です。
http://www.shoai.ne.jp/hirakata/jinjya/f130116/f130116.html
明治22年(1889)の町村制施行で長尾村と藤阪村が合併して、両村とも鎮守社がそれぞれ菅原神社だったことから、菅原村が誕生しました。昭和15年(1940)には、津田・菅原・氷室の3村が合併して津田町となり、菅原村はなくなりました。さらに昭和30年に津田町が枚方市に合併されたため、長尾○○町名が復活したという訳です。菅原という名は学校や地域の施設などの名前として残されています。
茫漠たる野に花が咲き、水鳥が立ち寄る風流な土地だったのだ。
近くにいながら津田は良く知りません。国見山から降りてきて津田駅に向かうとか、その逆で山登りの途中で通過する。あるいは駅前の狭い道を通り過ぎる。なんともごちゃごちゃの新旧住宅のある場所というのが印象です。春日の元環濠集落は歩いたことがありますが、大きな旧家があるかと思えば小さな住宅が混在したところでした。最近は津田サイエンスパークや山手の住宅開発でさらにごちゃごちゃが進んでいて、急に都市化したような感があります。
町石道は2回と1/3を歩いた。中途半端な1/3とは2010年11月22日、朝から大雨で慈尊院で雨宿りをしたあげく気分が乗らないまま決行し、二ッ鳥居で意気消沈して、古峠からエスケープしたものである。あとは、登りと下り1回づつ。ただし下りは秋のつるべ落としの時間切れで、百町石より下 は飛ばしに飛ばしたのと、樹林帯のなかは真っ暗でほとんど写真にならず。
町石道第3クールは、矢立60町石〜高野山壇上伽藍だ。2回目のデータと3回め下りのデータで構成する。
参考記録
1回目:2010年11月22日
慈尊院(8:30)-144町一里石(10:38)−古峠(11:41)-二ッ鳥居(11:53)
http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-205.html
http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-206.html
http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-207.html
■町石が町石道の左右どちらにあるのかを写真の下に記入した。振り返り写真も多数あるので、大門の方向を基準に右左を示している。
2回目、2011/5/4は、矢立でちょうど11:30だったので昼飯としました。九度山を朝に発って、ここでちょうどお昼になるので絶好の休み場です。
矢立とは?武士の弓矢を入れるカゴとか、今風にいうなら筆ペンのように、筆と墨壺のセットというのが本来の意味だそうですが、ここの矢立はどちらから?ちょっと調べてみはしましたが、どうも矢立茶屋の餅と矢立砂捏地蔵くらいしか情報がありませんでした。
町石道は2回と1/3を歩いた。中途半端な1/3とは2010年11月22日、朝から大雨で慈尊院で雨宿りをしたあげく気分が乗らないまま決行 し、二ッ鳥居で意気消沈して、古峠からエスケープしたものである。あとは、登りと下り1回づつ。ただし下りは秋のつるべ落としの時間切れで、百町石より下 は飛ばしに飛ばしたのと、樹林帯のなかは真っ暗でほとんど写真にならず。
町石道第2クールは、古峠123町石〜矢立60町石だ。2回目のデータを中心に、3回め下りのデータで補充していく。
■参考記録
1回目:2010年11月22日
街道ウォーカーとしては、町石道は歩いておかねば、とて歩き始めた。せっかくの町石道なので、どうせなら町石を全部撮ってやろうと、撮り始めたものの・・・・・それが難儀の始まりで1回では終わらない。他人には意味がない話だが、まあ、修行と考えてとことんやってみようと、今も続いている。
町石道は2回と1/3を歩いた。中途半端な1/3とは2010年11月22日、朝から大雨で慈尊院で雨宿りをしたあげく気分が乗らないまま決行し、二ッ鳥居で意気消沈して、古峠からエスケープしたものである。あとは、登りと下り1回づつ。ただし下りは秋のつるべ落としの時間切れで、百町石より下は飛ばしに飛ばしたのと、樹林帯のなかは真っ暗でほとんど写真にならず。 従って、第1回は、登りの1.5回のデータを中心にまとめた。
参考記録
1回目:2010年11月22日
慈尊院(8:30)-144町一里石(10:38)−古峠(11:41)-二ッ鳥居(11:53)
http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-205.html
http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-206.html
http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-207.htm
2回目:2011年5月4日
慈尊院(7:32)-一里石(8:52)−古峠(9:37)−二ッ鳥居(9:43)-百町石(10:19)- 矢立(11:34)-壇上伽藍(14:20)
3回目:2014年11月21日
壇上伽藍(10:34)-矢立(13:41)-百町石(15:30)-二ッ鳥居(16:03)- 慈尊院(17:32)
4回目:2016年7月22日
9:40 金剛峯寺-9:51壇上伽藍-10:14大門-12:38矢立-13:35笠木峠-14:17神田-14:39二ッ鳥居14:58-15:42一里石-17:13慈尊院-17:55九度山
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-310.html
※町石が町石道の左右どちらにあるのかを写真の下に記入した。振り返り写真も多数あるので、大門の方向を基準に右左を示している。
■慈尊院から一町目 180町石
町石道の起点は慈尊院だ。そこから1町、約109mの百八十町石は丹生管省符神社へのぼる石段の途中にあった。
2011/5/4