2022年8月25日木曜日

山の根の道をあるく (1)  杉ー津田



                             2013年9月19日                             2013年9月29日

    山根街道はさすがに街道の風情で、大和や高野山、大峰山へ向かうため通しであるく街道の性格を持っていたように思います。
それよりもっと山手に古い道があって、山の根の道とか山根の道とか言われています。この道は山麓にできた村々を縫うようにして走っていますが、通しであるく街道というより、村人の生活の道であったように思われます。「ちょっと用事で○○村へ行ってくるわ」として、村から村へ山麓を伝いながら、途中で立ち話をしたり、ついでの用事をすませたり、あるいは行商のおっちゃんが街道を行くよりも近道として歩いたりするような。そんな道のように思います。
 太古の昔、二上山からサヌカイトを運んだというのはあったにせよ、それはあまりに昔過ぎて、想像しにくい。



 今回は、枚方市が設定している、杉-津田の「山根の道」をあるいて、倉治から始まる「山の根の道」に接続して、打上まで通しであるいてみます。通しといっても数日に分けてですが。
 例によって、一番詳しく記録されている交野古文化同好会のサイト    http://murata35.chicappa.jp/hosinomati/katanokodo/yamanekaido.htm
を参照しながら歩きます。

  1.長尾にて


 しばらくこないうちに長尾駅の駅舎が新しくなっていました。橋上駅舎化されすっかり都会!大昔は木津行きディーゼルの乗り換え駅だったし、電車時代になっても乗り換えたような?「木津行き連絡」なんて、ゆーてました。乗り換えた後、一気に景色もスピードも変わって、ちょうど東海道線の国電から(古っ!)山陰線のディーゼルに乗り換えるようなもんで、時間の流れ方も代わったような気がしていました。様変わりです。

 様変わりといえば、長尾からの田んぼの中の道。つい10年ほど前までは車も少なく、丘の方にいけば何もなく、小さな峠を越えるとところどころ荒地になっていて、さながらゴミ捨て場のような(ゴミ捨て場そのものだったですが。。)ところが点々としていました。あまりの変わりようにびっくりして、つい写真を撮ってしまいました。

 駅前も再開発中です。うーむ、いいことはいいのですが・・・なんといいますか、どこにでもある風景になってしまうのがちょっと。駅前で唯一無二の主張をするのが、おっちゃん、おばちゃんのやってる駅前食堂なんですが、そんなんはないやろな?

 
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2.山根の道 杉-津田をあるく

 バスで杉まできました。

 杉の地名は尊延寺に向かって杉のはずれまで行くと、石の柵に囲まれた杉の木があって、昔は「大杉さん」と言われていたことから、そう呼ばれるようになったらしい。また、杉は、宮廷に献上する氷を貯蔵する氷室があったと言われ、少し谷の奥には氷室という在所もあります。住宅団地もありますが・・・また、スモモは明治時代から栽培されていると言います。
 謂れはなかなか牧歌的な風情ですが、ま、うるさいです。

 これが上渡場橋。川は穂谷川ですが、飛び石の渡り場でもあったのか、という名前。クルマがひっきりなしに通ります。

北側(谷の出口)は第2京阪のtube。後ろからは騒音で攻められ前は視界をさえぎられる。ちょっと閉塞感があります。

ここから枚方市謹製「山根の道」が始まる。古くは田辺街道でしょう。下に植え込みがありお地蔵様がいらっしゃる。

このお地蔵様は道標を兼ねておられるそうです。前掛けをしておられるのでめくってはいませんが、見た人によると、「右 や王(わ)た 左たのくち」とあるそうです。
http://www.myippo.com/kaidou/tanabe/tanabe1/tanabe1.html

街道に入っていきます。騒音も少しかき消されて静寂が戻ってきました。路傍にはササの生垣。

第2京阪手前で、振り返ります。氷室のほうを望む。

第2京阪をくぐります。このtubeは見た目の圧迫感はあるものの、騒音は十分に抑えられているようです。かなり昔、計画決定の時には、自治会にて、騒音、排ガスを相当心配しましたが・・・クリーン技術は発達していました。一方では、中を走っていても外の景色がほとんど見えないのがツライ。って、その時は、外を歩けよ!

左は側道、右は本線を見上げています。


下渡場橋から。わたしば でなく、わたりば です。こういう名前の由来をしりたいのだが。


向こうに見えるは、大阪国際大学。こんな田舎にと思っていましたが、結構交通至便です。ここで橋を渡って左岸に移ります。

結構人通りがあります。散歩、ウォーク、買い物などなど。クルマは通りませんが、バイクは通ります。若干横の国道からの騒音はしますが、隔絶された世界。

のんびりと歩けます。いいコースやね。

狙っていたら、突然飛び立ちました。

もう1枚。池は惣喜池です。

ちょっとコナレタ、倉庫か作業場か。

水車もクルクル回っていて・・・・ここは魚を放流しているのだそうです。

のんびりと歩いてきました。ここは四季折々違った表情を見せるのだと思います。散歩にはもってこいのコースかと。

  さて津田北町です。消防署や図書館や、市役所支所があって、せせこましい津田駅前を避けた市民サービスの中心にもなっています。「通行止」もある。

3.山根の道 津田坂道逍遥

再びの二月道灯篭。あとで分かることなんですが、この細い坂道を登って行くと、「ここは通ったらあかんやろ」と思ってやめた道に入るのです。これはおもしろそう。

 
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■枚方市謹製ルート

ここから入っていきます。枚方市謹製のルート(地図に緑で示しています)を先にアップして、それから徘徊(黄色のルート)に移ります。最初の日9/17は工事中でした。


段蔵形式の蔵。こうなると、水害防止→段蔵という図式は成り立たなくなります。

円通寺への道

 だいぶん登ってきましたが、まだ高いところがある。あとで行ってみましょ。路傍にはさりげなく石灯籠。何の灯篭か分かりませんが、古くから道があって、皆が集まってきたところと理解しました。

 家ばかりでなく、すき間に畑地があって、こういう土手があるのが昔ながらの村落のよいところ。今はすき間を認めようとしない。

突き抜けて 天上の紺・・・・を撮ってみたかったのですが・

まだ登りますか!標高は70m強あるみたいです。

振り返ると

登りきって少し下ると、もう地蔵池の公園に出ました。枚方市の「山根の道」のサインはありませんが、地蔵池を経由して、津田駅に下りると思われます。

  ■石垣と坂道の村

一応歩いたルートを思い出して黄色で示してありますが、どこをどう通ったのか良く分からないところもあります。

坂道を登る

下ってきて、円通寺を横から




ここは来たことがある。裏からだと分からなかった

  「山根の道」を横切って、西側の丘に登ってみます。

善応寺石垣

善応寺石垣

善応寺山門。新しい!

何かお屋敷があるようです。軽自動車も通れないと看板に書いてあった。下からおじさんが登ってきました。

  引き返して、また高いほうに登ります。時々若い人が津田山手のニュータウンから歩いてきます。古い村の中を通って津田の駅にいくみたいです。バスもあり、歩くなら山手幹線を通ったほうが早いと思うのですが、この村の風情を楽しみつつ歩いているのだと思いました。

狭い道

道というより畑の畦道

 古い街を歩きつつ、写真をみつつ、街の美しさについて考えています。

 津田山手の新しい街はキレイではあるが、どうもしっくりこない。住むには快適な家なんでしょうけど。一方、津田元町は新旧、大小入り乱れ、道も狭いし、グニャグニャ。でこぼこの高低差はありあり。消防に言わせればとんでもない街ということになるんでしょう。しかし美しい。おそらく、遊びというか、すき間や無駄を許している。この丘に住むならすき間を作らざるを得なかったんでしょうけど。その不ぞろい性が美しさを生み出しているのではないかと。

 しかし、坂がきついしクルマも入りにくいので弱者にはキツイし、いろんな制限があるんでしょうね。第1コストが高くなる。便利、快適、コスト、安全を考えると津田山手になるんですね。しかし、それを進歩とは言いたくない。

 津田山手も数十年たてば美しい街になるんでしょう。それは、わずかではあっても庭の樹や生垣が不ぞろい性を発揮するから。今、家だけを敷地いっぱいに建てるのがありますが、嫌になったら引っ越す、使い捨てのモノと考えているんでしょう。

  自然に一度通った道に寄っていくようです。尊光寺の角。

尊光寺の石垣。この角っこが気に入ってます。

これも道。一往復しました。

尊光寺梵鐘。この高さだと津田中に響き渡ったと思います


  さて、尊光寺から坂を登って行きます。

崩れた土塀

大伽藍に土塀

土塀、好きですね

正応寺。応は古い字で。カーブした低い塀

正応寺から北を見ています。

  さらに南にあるいて行きます。この先の道は記憶にあります。地蔵池はすぐ近く。

これはすばらしい。前回9/17はこの手前まで来ていて、坂の下の路地に入ったので気がつきませんでした。道が2つに分かれ、土手の曲線を彼岸花が彩る。季節に応じて表情を変えてくるのでしょう。四季折々、訪れたい場所です。


  この石垣と路地の坂道は気に入りました。星田や私部も路地は狭かったが、それにも負けず劣らず、おまけに坂道のぐにゃぐにゃなので、おもしろくないわけがない。心配なのは、今あるすき間の畑をそのうち全部家で埋めつくすのではなかろうかと。

  さらに坂を登って行きます。

高台の高蔵、周囲を圧倒します。

  津田元町の最高地点は畑になっていて柿の樹が植わっていました。カラスが群がって実を食べている。畑に中の小路をバイクが走ってきました。その道は次回に残しておいて退散します。引き返して下って行くと、すぐに地蔵池公園でした。

4.山根の道 ため池逍遥

■地蔵池界隈

 地蔵池の一部が公園になっています。地蔵池公園でなく、オアシス共園。普通の公園ですが、地域住民のコミュニケーションを図り、コミュニティを作っていこうとする意図のようです。

地蔵池

トンデモなく大きい邸宅

 楽しそうな湿地もある。平地の公園も含めてどう使っていくかでしょう。津田元町の古くからの住民+そこに入ってきている旧住民+新住民+津田山手の新住民。それから公園から住居までの距離の長短。この公園投資の仕分け報告を読んだことがありますが、地権者は別で、市はハードの整備だけなのだそうです。難しそうな構成ですが・・・
 箱はできたので、中身を盛っていくソフトウエアとコーディネータの出番の段階ですが、市役所にできるとは思えない。

湿地を巡る遊歩道

 まずは入り口のチェーンを取り外すことからのように思えます。 入り口を見ていると石碑が建っていました。何か彫ってありますが、分かりません。

交野古文化同好会によると、
『念佛橋・南無阿弥陀仏・正徳三年巳七月十八日』1713年のもののようです。 昔、土葬の頃はこの念仏橋が村のはずれで、喪主が莚のうえに裃(かみしも)を着て座り、野辺送りの人々に御礼するしきたりの場所だそうです。
http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/yamanemiti03/index.htm

確かに村はずれには、石碑はなくとも、それに類するモニュメントがあります。左は星田のある地区にあるお地蔵様。十数年前、初盆の時、喪主は裃こそ着ていませんが、正装をして家でおまいりする人の対応をして来客が一段落した夜中になってここに来て、野辺送りの火を焚いていました。ボクもその行事に参加したことがあります。火を使うので今はもうしていません。

 コミュニティを作っていく際には、こういう土地の行事や歴史を、調べる、教わるというような活動からはじめたらどうかな、と思っています。津田には歴史や自然に、調べたり教わったりする材料はたくさんありそうです。そんなことに興味あるひとがいるのかどうか?「わたしゃ無関係」では一歩も進まない気がします。 

■治郎兵衛宮

 津田史によれば、「昔、旧畠田村の氏神で春日大明神と八大竜王を祀る末社があった。明治5年の社寺整理統合のとき津田・春日神宮に合祀され、跡地は畠となっていたが、その後、神主の谷岡氏が以前の土地に宮を再興して奉祀した。この宮が現在の治郎兵衛宮である」
 八大竜王を祀っていたといえば、雨乞いの宮である。この辺りは、地蔵池沿いの道から一段高くなっていて昔の宮山の面影を残している。以上、戸原さんのサイトから引用;http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/hira-jinjya-4.html

治郎兵衛宮、地蔵池の脇のお墓から見えます

  ■第2京阪アクセス道路をみる

旧道らしき住宅街の道を通って、アクセス道路にかかる橋に来ました。これはおもしろい。見晴らしはいいし。道も素敵。

東方、第2京阪を望む

西方、津田駅方面を望む

 いったん、アクセス道路に下りて、津田城主の墓を見に行きます。ついでにコンビニで補給します。

 津田城主の墓は手前の住宅の前です。ここは2013年3月に造成されたばかりで、住宅もできたてホヤホヤのようです。もう入居されていました。少し前までは山を削った斜面だったので、ここにお墓を新築したようですが、急激な変化を読めなかった模様。

 津田城主、津田周防守正信は津田氏の初代城主で戦国時代に、ここの東にある国見山に居城を構え、活躍した人物です。

詳しくは;http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/yamanemiti03/index.htm

せっかくの安住の地を見つけたというのに、すっかり家に囲まれて・・・家に囲まれるのはいいとしても、黒いフェンスが息苦しい。前にあるポールも邪魔です。


■がらと川
 その国見山から流れ落ちてくる川です。第2京阪や津田山手の造成でどうなっていたのか?川はあったでしょうが河道がどうなったか?
 多自然(型)川というのでしょうか、今風の護岸の川にリニューアルされています。コンクリートの道は違和感はありますが、やむをえないのでしょう。曲がりくねった川の岸はいわゆる土手で、川道には堰もあり、ジュズダマやマコモ?が植えられています。多分、初期値として植えているのでしょう。この川がこなれて、この地区の川に成長していくのが楽しみです。雑草を放置しているというなかれ。雑草といい、曲がりといい、こういう不ぞろいがええねんで。

http://www.mlit.go.jp/river/trash_box/paper/pdf_japanese/63.pdf

がらと川

がらと川はアクセス道路をくぐって、ちょっとしたバッファの池があって、さらに大池の東側に沿って流れ下っていきます。

  ■大池界隈

ここで山根の道と分かれます。山根の道は地蔵池沿いの道を下っていくはずですが、ボクは大池の堤防を行きます。かなり気持ちの良い道で、ここから「山の根の道」が始まると理解しておきます。

本日のベストロード。こういう道が好きなのです。

地蔵池の地蔵にかぶさる楠が見えます。

堤防を下って墓地に入る。明るい墓地です。


  (つづく)

 


山の根の道(2) 倉治-寺へ






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