2022年8月3日水曜日

町石道をあるく3(矢立60町石~壇上伽藍)


 町石道は2回と1/3を歩いた。中途半端な1/3とは2010年11月22日、朝から大雨で慈尊院で雨宿りをしたあげく気分が乗らないまま決行し、二ッ鳥居で意気消沈して、古峠からエスケープしたものである。あとは、登りと下り1回づつ。ただし下りは秋のつるべ落としの時間切れで、百町石より下 は飛ばしに飛ばしたのと、樹林帯のなかは真っ暗でほとんど写真にならず。
 町石道第3クールは、矢立60町石〜高野山壇上伽藍だ。2回目のデータと3回め下りのデータで構成する。 

参考記録

1回目:2010年11月22日
    慈尊院(8:30)-144町一里石(10:38)−古峠(11:41)-二ッ鳥居(11:53)
     http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-205.html
     http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-206.html
     http://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-207.html

2回目:2011年5月4日
     慈尊院(7:32)-一里石(8:52)−古峠(9:37)−二ッ鳥居(9:43)-神田・二里石(10:08)−笠木峠(10:40)-三里石(11:11)−矢立(11:34)-四里石(12:58)−大門(14:00)−壇上伽藍(14:20)


3回目:2014年11月21日
    壇上伽藍(10:34)-大門(10:46)−矢立(13:41)-笠木峠(14:54)-神田(15:48)−二ッ鳥居(16:03)−一里石(16:34)-慈尊院(17:32)

4回目:2016年7月22日
    9:40 金剛峯寺-9:51壇上伽藍-10:14大門-12:38矢立-13:35笠木峠-
14:17神田-14:39二ッ鳥居14:58-15:42一里石-17:13慈尊院-17:55九度山
    https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-310.html

  ■町石が町石道の左右どちらにあるのかを写真の下に記入した。振り返り写真も多数あるので、大門の方向を基準に右左を示している。


■矢立でもうちょっとゆっくり 60〜59町石

 2回目、2011/5/4は、矢立でちょうど11:30だったので昼飯としました。九度山を朝に発って、ここでちょうどお昼になるので絶好の休み場です。
 矢立とは?武士の弓矢を入れるカゴとか、今風にいうなら筆ペンのように、筆と墨壺のセットというのが本来の意味だそうですが、ここの矢立はどちらから?ちょっと調べてみはしましたが、どうも矢立茶屋の餅と矢立砂捏地蔵くらいしか情報がありませんでした。

 高野道以外に、九度山−細川からこの峠を越えて、花坂を経て、海南や湯浅に出て行く街道があったのだろうか?そのあたりを調べてみたいとは思う。しかし、その道はクルマがビュンビュン走っているので歩くのはどうかと思うが・・・  60町石は道路脇 
 
茶屋の裏はベンチもある広場だ。誰もいない。この写真、2014/11/21は午後1時40分なのでさもありなんだが、2011/5/4も11:30なのに誰もいなかった!





茶屋の屋根越しに見えるは「矢立砂捏地蔵の祠」。弘法大師が村の平和と村人の健康を祈願して作った地蔵だという。






矢立の辻を振り返る。それは5月の話で、実際は11月なので大門から矢立茶屋に到着。

59町石とお地蔵さん
六地蔵でなく6+1になっているのは何か理由が?

 

 

 

 

■いよいよ登り 58〜60町石

58町石  左手 
57町石
   56町石  左手

56町石はちょっと見つけにくいかも。坂道で喘いでいるときに斜面の上の方にあります。
 
 
 
 
 
 

■町石ではない石もある 袈裟掛石、押上石 55〜53町石

55町石(右手) とその先に袈裟掛石

このあたりから、登りは一段落したようで、ゆったりと登っていきます。

  袈裟掛石

 弘法大師が袈裟を掛けた伝説から名付けられたとあります。弘法大師が座った石というのも他地方にあった気がする。しかし一番多い伝説は水を湧かせた、井戸を作ったというものではないですか。村人に助けられた場合は水が出てきたとか、逆に村人に邪険に扱われた場合には、温泉がただの水になったり、鉄気のある水になったり、結構報復も恐ろしい。
 袈裟掛石は2つに別れていて、石と石の間をくぐり抜けると長生きするという言い伝えがあるそうで、「くぐり石」とも呼ばれています。

55町石を振り返る


 

 

 

 

 
袈裟掛石 ここはくぐれんなあ!


袈裟掛石を過ぎたところにある石標。全部は読めないが、「先祖代々・・聖霊」  「・・・あびらうんけん・・・」と読める。大日如来の真言を彫ってあるらしい。
             54町石 (右手)
 
先方に何か看板のようなものが・・・
それは押上石だった。

 わかやま観光情報によると「高野山は明治時代まで女人禁制でした。弘法大師の母君、阿刀氏はある日、禁を破って五十四町石あたりまで登山してきました。ここより先は入れませんよと大師がいくら説明しても母は聞き入れません。そこで大師は石に袈裟をかけ「ここを越えられますか」と告げます。言葉どおり母が飛び越えようとすると突如雷鳴がとどろき、火の雨が降ってきました。驚いた大師はとっさに岩を手で押上げ、その影に母をかくまいました。五十四町石の先にあるその岩には今も大師の手形が残っているといわれており、ここからが高野山の清浄結界とされるゆえんです。」
https://www.wakayama-kanko.or.jp/kataribe/01/detail_02.html

 押上石 








  
 
  押上石の下にある折れた石標 

53町石は新旧2基あります。いかにも「巡礼」という風情の老夫婦が解説を読んでいます。
解説板

■淡々と巻き道をゆく 52~45町石

  このあたりからはゆるい坂を淡々と登っていきます。相変わらずの町石ですが、ちょっと単調といえば単調か。花でもほしいところですが、5月のゴールデンウィークは端境期なのか、目立った花を見た記憶がありません。

52町石  右手

51町石  右
50町石
49町石  右手
48町石  右
47町石   右
46町石  右
45町石   右

■そろそろ変化がほしいぞ 44~39町石

44町石  右手、合計2基ありました

角度を変えて
43町石   右
42町石   右
41町石  右

■変化あり過ぎてウロウロ 40~36町石
 41町石を過ぎると国道を横切ります。そこそこクルマ通りはあるので要注意。要注意はもう一つあって、町石が分かりにくい!

 ここからどうしても国道を横切って、坂の小径に入っていきます。40町石は案内板があって、小径に入った左手にありましたが、39町石は・・・・?

車道を横切りますが・・・・はて
40町石   左
 小径を上がって行くと展望台になっていました。まあまあのい展望で休憩ができるのはよいですが、こちらに上がったら最後、39町石が分からなくなりました。下山した後、町石道の地図をみてやっと分かった。国道を横切らずに国道を歩けば国道左手にあるのでした。 
39町石 
展望台に登らず国道筋を歩きますとカーブの左手に見える(展望台に登ったらアカン) 
 
37町石
 
あれ?38じゃないの?


 

37町石は展望台から降りてきて、国道を横切った向こう側にありました。38町石だと思ったら、37で、38町石は国道を少し矢立て側に戻った左(南)側に建っていました。国道が町石道かい!この辺り町石の流れがギクシャクしています。
 どうも、国道を作った都合で、町石道を分断し、遊歩道も別に作ったもんだから、巡礼道としての流れがおかしくなったのだと思う。高野山の生活に必要な道だとはいえ、もうちょっと頭を使ってもよかったのでは?クルマの合理性しか考えていないということですね。

 改めて38町石38町石

 町石道は再度国道から離れていきます。クルマの喧騒が軽くなるのはヨシ。
 36町石も国道から離れてすぐ左、結構上の方だったので、行ったり来たりしました。

36町石  左

■これで登れるのか?と思う程の水平道 35~28町石

 すぐに四里石ですが、斜面の結構上のほうにありますので、2~3回行ったり来たりしました。ここから先、傾斜のゆるやかな道です。これで本当に登るのかと思うほどの水平道でした。見晴らしのよいポイントもあり、歩いて楽しい道です。

四里石  左  斜面の結構上のほうにあるので注意。
35町石  左

34町石  右
33町石  左
 32町石 左
 
見晴らしの効くポイントもある
31町石
30町石  左
29町石  左
28町石

■平坦だが変化も出てきた町石道 27~13町石

 鏡石を過ぎ、27町石から13町石辺りまでも、平坦は平坦な道ですが、沢沿いの道になったり、木橋で谷を横切ったり、ちょっとした下りもあってびっくりしたり、また平坦になったり、見晴らしがあったりで、変化を楽しめる道です。静の中に動ありと言っておきましょう。
 鏡石は、表面が鏡のように平らなので鏡石。この石の角に座って真言を唱えると願いが成就するという。 

鏡石 

   
     鏡石
27町石  左
26町石  左  谷を登る道
なんと!26町石辺りから枯れ沢沿いの道になった
25町石  左
24町石  左
23町石
道はすこぶるヨシ
22町石  左
21町石  左  なぜかくだる?
木橋を渡ってすぐ、半分うまった21町石
20町石  左
19町石   左
18町石  左
17町石  左
もう一度橋を渡って 16町石
15町石
14町石  左
こもれ陽の平坦道
13町石 (左)が見えてきた。木橋で谷を横切る。
13町石  左

■最後の登りで大門へ 12~8町石

 12町石辺りから登りが始まります。そう急な坂ではありませんが、それでも最後のつづら折りの坂は息が上がりました。どうも。これは巡礼道としての人の心を高揚させる設計ではないかと・・・・
12町石  左
11町石  左 
どんな角度から撮っても正面は無理
10町石  左
9町石  右 ツヅラ折れ道がターンするところ
8町石 道路の右手、観光案内所の対面あたり
少し戻って坂の下から
大門

 大門は高野山が開かれた当時は坂を少しくだったところに鳥居があったそうですが、宝永2年(1705)に再建されたといいます。あえぎながら最後の急坂を登り切ったところに、いきなり目に入るように立地しているところがニクイ設計だと思う。だれでも、オォッと思うでしょう。
 2011/5/4の登りでは、最後の登りでへばりました。上がりきったところでしばしボォ-ッとして写真も撮りませんでした。201411/21には写真を撮り直しましたが、8町石付近は工事中で、またしても撮影できず!こうなりゃ意地でも撮ってやる。

  ■最後の直線ラストスパート壇上伽藍へ 7~1町石

7町石はまだ大門の外。弁天岳・弁財天への鳥居の左手に7町石はありますが裏面しか見えません。しかし、道路側はクルマが頻繁に通るので危なくてじっくり撮影できません。
クルマが途切れた頃を見はからって、道路側から撮影できました(2016/7/22)。
6町石は大門をくぐったところにあります。

うまい写真がありませんが、再び大門をくぐって、写真右手の植え込みの向う
歩道がないので写真も撮りづらい5町石
 
5町石 左
 
4町石  左 
3町石 左
2町石
1町石  左

■壇上伽藍

 終着は壇上伽藍です。
 弘法大師が真っ先に整備へ着手した場所で、高野山の核にあたる場所。「胎蔵曼荼羅」の世界を表しているといわれています。ボクにはまだ語る力量もないので本家のサイトをどうぞ。
http://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#daito
 その壇上伽藍の中でも真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立された大塔が根本大塔。多宝塔様式としては日本最初のものと言われますが、そんなことよりも人々を引きつけるのはあくまでも鮮やかな朱でしょう。 

根本大塔












中門

金堂

愛染堂前 
愛染堂と金剛界一町石

 愛染堂前から東塔を望む。見てしまいましたね。あらたな町石。壇上伽藍から奥の院弘法大師御廟までの参道には金剛界三十六尊の諸仏を表す36基の町石が建てられています。
今回はそこまでカバー仕切れません。多分何度もくると思うのでそのときチャレンジしましょう。

 最後に、金剛峯寺にお参りしておきましょう。 

金剛峯寺

 2016年7月22日、3回と1/3でようやく町石が全部撮影できました。それだけのことですが・・・もちろん、写真がボケたり、イマイチのものがあるのでそれは別途撮影するとして、一応の区切りです。しかし、町石撮影の呪縛から逃れて、これからが本当の町石道あるきだと思うようになっています。ゆっくり楽しみながらお参りしたいと思います。

  


1:慈尊院−古峠に戻る    2:古峠-矢立へに戻る


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