近くにいながら津田は良く知りません。国見山から降りてきて津田駅に向かうとか、その逆で山登りの途中で通過する。あるいは駅前の狭い道を通り過ぎる。なんともごちゃごちゃの新旧住宅のある場所というのが印象です。春日の元環濠集落は歩いたことがありますが、大きな旧家があるかと思えば小さな住宅が混在したところでした。最近は津田サイエンスパークや山手の住宅開発でさらにごちゃごちゃが進んでいて、急に都市化したような感があります。
しかし、つぶさに見て行くとなかなかレガシィなものがあります。
昔、津田氏というのがいて、これから津田の地名がついたのかどうか分かりませんが、その津田氏を調べていると、楠木正成の末流であり、延徳元年(1489年)に、初代城主・津田正信が、国見山に津田城を築城し、以来四代・100年にわたってこの地を治めた、とあります。三代目・正明の時代には、河内・飯盛山を拠点に近畿に勢力を持っていた三好長慶と同盟し、1万余石を領有。しかし、四代目・正時の時代に石山本願寺の合戦で、周辺村民とともに織田信長と戦い、城も村も焼かれてしまう。その後、信長の臣下となり二百石を領しますが、今度は山崎の合戦で明智光秀に味方し、結局、豊臣秀吉によって津田氏は滅ぼされてしまいます。
http://homepage2.nifty.com/bu-ra-ri/tuda.htm
負組も負組、散々な津田氏と津田ですが、その後、津田の村々はどうだったのでしょうか。例によって、米軍の1948年航空写真を見ていると、津田駅周辺は少し家が固まっているだけ。そこから北に延びる街道(山根街道)は途中で東に90度折れて山すそを通っています。街道は惣喜池の手前で2つに分かれ、北に山根街道、東は杉、尊延寺から山城国に入って田辺を経由して京都や奈良へ抜ける道となっていました。西は枚方経由で淀川を渡り摂津ですね。結構重要な交通の要衝です。
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1.津田をあるく
■いきなり影見池をパス
惟喬親王がしばしば交野ノ原へ遊猟をされた時、見失った愛鷹が池に写った姿を見て発見されたという伝説から「影見池」と名づけられていますが、扱いがあまりに貧相なのでパス。家を建てるのもよいが、それなりの扱いをしたらどうかね。枚方市に入ったとたん、これですから先が思いやられる。
http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/yamanemiti03/index.htm
代わりに東に見える堤防を撮っておきます。あそこの堤防の道がおもしろそうで、今度行ってみます。住宅街の道を抜けていきますと・・・
■見えてきました地蔵池の石仏群
池下の大きな楠の下に沢山の地蔵さんがお祀りされています。電柱はあいかわらず邪魔ですが、これは壮観です。
地蔵池は明治16年の大旱魃の時に津田の人々が、家伝来の系図を質入してまで私財を集めて大改修をしたため池で、付近から石地蔵が沢山見付かったのでこの名前が付いたといいます。
http://www.shoai.ne.jp/hirakata/douro/051018/051018.html
どこかに、片腕を差し出した「早来迎」地蔵さんがいらっしゃるそうですが、前掛けをしてはるので分かりません。地蔵さんから衆生に手を差し伸べられた姿と言われています。http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/yamanemiti03/index.htm
地元の方と思いますが、きちんと手入れをしてくださって、休憩所までありました。
すばらしいのですが、地元の方や、枚方市がきちんとした情報発信をしていないようです。少なくともWEBでは・・・・探すのに疲れてしまいました。お世話してくださる人まかせで、一般の人は無関心なのではなかろうね、と心配になります。もっというと、好き嫌いがあるのは仕方がないとして、家を建てるのに邪魔だから壊してしまえというようになるんじゃなかろうか、と。そこまで行かなくても、いかにも邪魔そうに扱う、そんな光景はよく目にします。
なけなしの金をはたいて池を修復し、埋もれていたお地蔵様を拾い集めて祀ったというスピリットを理解すべきかと思う。それがレガシィ。
地蔵池。奥のほうは公園になっています。それは後日・・・
■津田元町
そのまままっすぐ行くと津田元町です。古い地図や、米軍の航空写真をみると、このあたりが津田の中心です。かなりの高台。津田駅周辺や、下の道を走る車から見るとここに古い街があるとは思えません。最近の新しい住宅地かと思っていた。
道は細く、こんなとこ通っていいんかいなと思うほどです。よそ様の庭先を通るような道ですが・・・通りました。
尊光寺。浄土真宗本願寺派の寺院で長禄年間(1457~1460)の開基だそうです。この辺りの高台にはお寺が4軒集まっていて、拝観するのもよし、路地を歩き回るのもよし。ボクは路地派ですが、こんどゆっくり行ってみましょう。
■山根街道と合流
高台から降りてきて山根街道との合流点、津田事務所の前に道標があります。
右ひらかた 左のざき大坂道
・・・・法音
天保十二年 ○○兵衛
飛び出し坊や(ストップ坊や)の看板で隠れています。指す方向が違いますが、西南角、右の写真を撮っている位置にあったものと思われます。西から(左)入って来たのは田辺街道、まっすぐが山根街道(田辺街道合流)です。
■春日神社
津田の産土神を祀るとされています。春日という限りは祭神はアメノコヤネ命になったのでしょう。津田の近くの在所・春日と関係があるのかないのか?藤原氏の地盤になったのでしょうか。ズラーっと灯篭が並んでいて、拝殿に導かれます。
拝殿の中は神事を行う時のために椅子などが備えつけられていました。絵馬もたくさん飾られています。後部には大太鼓のやぐらが置いてありました。太鼓もあったのか?枚方つーしん:http://www.hira2.jp/archives/50286981.html を見ていると、秋の大祭は相当大掛かりでにぎやかです。一昔前の、村のお祭りの雰囲気が伝わってきます。まだまた現役で祭礼が行われているのだ。
二月堂の灯篭でした。ここからだと、田辺街道でしょうか。穂谷越えかも知れない。いずれにせよ大和へはいくつも道があります。
■津田の村は終わります
国道307に出会いました。ここのコンビニで休憩します。山根街道はコンビニの横をまっすぐ北です。
津田を歩いてみて「津田元町侮りがたし」というのが率直な感想ですが、惜しむらくは、地元の方々の情報発信が少ない、枚方市も、ちょっと有名どころの観光情報の発信はあるが、在地の文化についての掘り起こし気概があまり感じられないということです。せっかくリソースはあるのに惜しいことです。金になる住宅開発にしか興味がないのか?早晩、家の建てられそうなところは全部家になりそうな気がします。
2.藤阪は淡々と
なぜ淡々と?情報がないからです。WEB検索してみてください。不動産情報ばっかりですから。とりあえず、歩きます。
■この道はいいですねえ
左手は枚方津田高校。中に津田トッパナ遺跡があるようですが・・・http://www2.city.hirakata.osaka.jp/freepage/gyousei/bunkazai/serch/bunkazai/pre01.htm?tuNo=59
■大きな石灯籠
秋葉灯篭でした。秋葉灯篭は防火を願い、浜松は春野町にある秋葉神社にお参りする秋葉信仰で作られたもので、人々は講を作って、交替で秋葉神社にお参りをしたときの道順を示し、安全も兼ねて作られました。東海地方には多いですが、関西でもたまに見ます。東海地方のものは木製の祠で囲ったものが多いですが、こちらのは石のみ。なぜここにあるのかが良く分かりません。調べようとしても情報なし。
ここで不思議発見。64bitのWindows7なのでWXG4が動かず、しかたなしにMicrosoft IMEを使っていますが、いしどうろうで石灯籠、とうろうで灯篭 と変換されます。とうろう の意味が違うのか?何でですかね?
道標が横にありますが、
「北 八わた一り半 京五り 宇治二り半」
「西 ひら方五十丁 高つき二り半」
「南 のざき三り 大坂六り 高野二十り」
「東 なら五り 施主・・・」
と書いてあるそうです。http://myippo.com/kaidou/yamane/yamane1.htm
藤坂街道との辻ということですが、ここから右(東)に行く道があったのか?片町線(旧名は忘れました、関西鉄道?)の開通で壊されたか、もしくはもうひとつ先の辻ではないのか?
■菅原です
もう長尾の手前ですが、ここから街道は車道を外れますのでゆったり歩けます。以前はクルマでここを曲がって1号線に出たり長尾を通過して八幡まで行ったりしましたが、今はまったく通りません。旧街道も一度クルマで通って、あまりの狭さに難儀したことがあります。
3.ちょっと寄り道 田中家鋳物民俗資料館
田中家鋳物民俗資料館に行ってきましたので(2010/9/16)載せておきます。
田中家は、枚方上之町で鍋や釜の日用品、犂先などの農具、寺院の梵鐘などの鋳造を行い、北河内地域を独占的な営業圏としてきた、真継家配下の鋳物師です。昭和40年(1965)頃には廃業して、鋳物工場と、隣接する住宅(主屋)を枚方市に寄付しました。江戸時代中期に建築されたともので、昔の鋳物工場の姿を現在に残す、国内でただ一つの建物です。
工場内には鋳造の歴史や製作の道具類と田中家の歴史を、住宅内には枚方の伝統的な生活用具を展示しています。
また、敷地内には枚方市内で発掘された弥生時代の竪穴住居跡、復元竪穴住居もあわせて展示しています。
公式サイトより:http://www14.ocn.ne.jp/~hirabun/
■エントランス
気持ちの良い場所です。街道歩きよりいいかも。右側の建物が鋳物工場(復元)、左が母屋です。
■展示物
典型的な鋳物の作り方が展示されています。鋳物の基礎を学習するにはよいとおもいます。今風の鋳物主力製品である、自動車部品の展示もある。鋳物と書くとレガシーですが、今の生活を支える、なくてはならない基礎技術です。これをレガシィというのでしょう。
踏鞴のふいごです。SWオンで、わっさわっさと動くようになっています。当時はもちろん人力(足踏み)ですね。
甑(こしき)。溶解炉です。 むこうではこしき作業の復元展示もあります。
■弥生時代の復元竪穴住居
田口山遺跡で発掘されたものの屋根部分の復元です。非常に精巧にできていて、これを高床にして柱をつけたら今の(ちょっと前までの)田舎屋敷と変わらないのでは、と思うほどです。高床に技術は要りそうですが、わらぶき農家住宅の基礎は弥生時代にもうできていた!
この屋根の外観をみると、弥生遺跡のものとは思えません!
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