2022年6月28日火曜日

松本ウォーク

                2005年5月21日

松本ウォーク回想編


【プロローグ】

 松本は,昔2回ほどきたことがあるが,下車せず通りすぎただけだった。1回目は覚えている。夏休みの始まりに,研究室のS先輩と越後(会津か?)の荒沢岳経由で越後三山に行こうとして,梅雨末期の集中豪雨にあい,雨をついて途中までは登ったものの,鎖場にであっ
た。 「この豪雨の中,こんなとこを登るんかい!」と意気消沈してしまい,そのまま下山。宿でぼぉーっと一泊した後,時間をもてあまし,「せっかくやから善光寺 まいりをして,帰り道,御岳さんでも行こ」と,小出,飯山,長野とめぐってきた記憶がある。あと1回はどこへいったのか?部の活動のあとで,大糸線で糸魚 川にでた記憶だけはある。
 S先生(S先輩とは違う人)は長野県のご出身で,「松本はおしゃれな洗練された街で,おすすめ」という言葉をいただいていたので,いつか は街をじっくり見てみたい思っていた。今まで,松本は登山基地というイメージしかなく,あの山の中(失礼!)のそれも城下町で,「洗練された」とはどうい くことか?とぼしい経験から,仙台のような街なのか,それとも金沢のようなところか?色々思い巡らせていて,東京出張の帰りに行ってみることにした。

【エントランス】
 昔の記憶では,鈍行に揺られながら入った。山の中から峠のようなところを越えて,視界がパッと開けて,木々の間から街がみえて,「ああ,あれが松本か!」(実際は穂高の辺り)と,長い旅をしてきてやっと到着したという感じで,一種の感動を覚えた記憶がある。
 今回は中央東線の特急あずさ9号で行った。松本へのエントランスの峠越えを期待していたのだが,諏訪,岡谷,塩尻と淡々と通り越して入ったようで,「ああ,やっときた」という感動はあまりなかった。

 そうか,あれは長野からの篠ノ井線だったのか。となると,あの感動は善光寺まいりのあとか?しかし,部の先輩から,「山の中から,ぱっと視界が開けて,うんぬん」ということを聞いていたので,部活の後だったと思うが・・・・?となると,部活の後も,やっぱり篠ノ井線で長野からきたのか?
 地図を引っ張り出して色々眺めていると,思い出した。そういえば,戸隠に行ったことがある。その帰りに篠ノ井線経由で松本にきたのだった。ならば,あと1回 松本を通っているはずだが・・・(茅野で降りて蓼科へいった記憶があるので)などなど,いろいろ昔の記憶を思い起こさせてくれたり,また新たな疑問がでて きたりで,これはこれで楽しいエントランスだった。

 結論は,やはり松本へ入るのは長野から篠ノ井線がよい,ということになりそうである。

松本ウォーク印象編

【ソフィスティケィテッド】

 お昼前,とりあえずホテルに荷物を預けて街にでてみた。
 駅 の観光案内書でマップをもらって,その足で,駅前のメイン通り(後で調べると,あがたの森通りというらしい)を歩いている。ああ,あそこに蕎麦屋がある (これも後で調べると老舗の蕎麦屋さんだった)。ちょうどお昼時なので,おなかは空いているのだけれど,ここ1週間くらい歯が痛くて蕎麦は食べられそうに ない。残念ながらパス。どこ行こか,と思って,まずお城に行ってみることにし,本町通りに入った。この本町通り,中央通りあたりが,駅前の都会的な繁華街 のようだ。

 きょろきょろしながら本町通りをお城へ。うわさに違わず「洗練されたおしゃれな街」だった。一斉に再 開発をしたのだろうか?比較的新しい建物が多い。新しいといっても,神戸の復興再開発ようなガチャガチャした不調和感はなくて,1つのグランドデザインの もと,ちょっと古めのものをうまくリファインした感じである。一軒一軒,それぞれに個性はあるものの,統一性(でなければ,トータルコーディネート)があ るように思われた。若者向きのカフェ・バーのディスプレイも,主張はしているが,どぎつさがなくて,年寄りでも入れるような落ち着きの中にしゃれた感じが あって,好ましげである。通りは違うが,帰り道にあった「すかいらーく」も大阪でみかける店と見かけの雰囲気はちがう。おとなしめの(ちょっとくすんだ) 色使いで,よくなじんでいる。
 松本人の美的感覚!というか,きちんとした都市設計の仕掛け人とか都市デザイナーがいて,その感覚で街全体が作られ ている感じであった。またまた後で調べると-こんなんばっかり,前もって調べとけ-松本市の公式HPには「まちづくり」のページがあり,大量過ぎて全部は 読み切れていないが,まちづくり協定からはじまり,建築や広告のデザインマニュアルや緑のデザインマニュアルもきちんと整備されていて,周到に都市計画が なされているようである。

 お城へ行くメイン通り-本町通り-大名町通り,はシュトゥットガルトのなんとか通りを思わせる風情で (ちょっと違うか?ブティックとかカフェなんかは似ている),そぞろ歩きにはもってこいだ。ソフィスティケィテッドとはこういう感じだと思う。ツンとすま した感じでなく,おしゃれで洗練はされているが入り込みやすい感じがして,旅行者にとってはうれしい。

【リンデン】
 むりやり横文字でタイトルを揃えようとしています。(限界か?)

  街路樹はシナノキがきれい。リンデンバウムのあのLindenで,西洋種とは少し違って,日本のものは学名はTilia Japonicaというようだ(ここのはオオバボダイジュ)。西洋種は,Tilia cordata(フユボダイジュ,英名:Small Leaved Linden)とかTilia europaea(いわゆるセイヨウボダイジュ;英名は Lime tree, Linden)とか,色々あるらしい。
 リ ンデンバウムといえば,小さい頃,歌にある,「O Tannenbaum, o Tannenbaum, wie treu sind deine Blaetter …」を,「オー!リンデンバウム,リンデンバウム・・・・」と覚えて(聞こえて?)いて,「モーミの木,モーミの木」を「リンデンバウム,リンデンバウ ム」と間違えていた。「いずーみに沿いてしげーるボダイジュ・・・」がリンデンバウムなのだ!
 それはともかく,青葉がきれいだ。花はこれからやね。環境省の「かおり風景100選」に選ばれているようで,花季になれば芳香がするはずだが,ボクは鼻が悪いので・・・・。
 その横にナナカマドが植えてあるが,成長がシナノキの方が早いらしく,負けている。このままでは性格がまがりそう。ナナカマドはちょうど花が終って実が大きくなっている頃だった。今度は秋にきたいものだ。

【オムライス】
 あいかわらず歯は痛いが,お城へ行く前に食べておかないともたないので,昼ご飯にす ることにした。道々,蕎麦屋の案内板はあったが,あきらめて,オムライス。きのこのソースがかかっていておいしかった。サラダも付いていたがこれは無理 だった。あまり噛めないのでハイネケンで流し込む羽目になった。
 でも,シナノキの街路樹を見ながらのんびりとしたランチも結構なものである(歯が まともなら)。お店もバドワイザーでなくハイネケンをおいたり,ジェラートをおいたり,しゃれた感じがして気に入った。近所の奥さんとか旅行者がゆったり と食事をしていた。このお店はジェラートのミックスドトッピング?がウリのようだったが,歯にしみそうなのであきらめ。食べたいものが食べられないので ちょっとフラストレーション。

松本ウォークお城編

【マツモトキャッスル】
 タイトルはかなり無理をしている。ホテルの名前みたいだが,由緒ある国宝松本城だ。

 まず内濠の外の公園から。常念岳がよく見える。黒門が正門だが,写真を撮りながら公園を半周して埋橋から入った。¥600。靴をビニール袋に入れて持参する。途中,鉄砲口から外を撮ってみたがイマイチ。















 





西方真正面には常念岳がよく見える。東のほうは
お茶会をやっていた。













 






相当急な階段を上って天守へ。両手がカメラと靴でふさがっているので手すりが持てず,おまけに頭を打ちそうになった。最後に大手口から外へ出て,さつき展をしていたので,一回りした。なにかの抽選をやっていて,大当たりの大盤振
る舞いでひっきりなしに,カラン・カラン・カランと鐘をならしていた。













 






最後に大手口から全景をパチリ。端正なお城であった。





 

 

 

 【松本市立博物館】
 入場券は松本市立博物館と共通になっていたので,ついでに見てまわった。お城も そうだったが,鉄砲とかの展示が多い。私はこのような展示が苦手で,一所懸命見ても覚えられる訳でなし,いつもどうしようかと思ってしまう。松本地方の生 活具(農具)展示もあって,昔懐かしいもみ選別機があった(トウミとか何といったか忘れたが,ウチでも子供のころは現役で使っていた)。

【廊坊】
 話は全然関係ないが,松本とランファン(廊坊:中国)は友好都市らしい。カトマンズとかソ ルトレークシティとかグリンデルワルドが姉妹都市なのは良くわかるが,ランファンとはなんで?と思って調べてみると,ランファンは,「内陸に立地した軽工 業、機械工業が盛んで、本市の産業形態と類似点が多く、また、本市が『教育文化都市』、廊坊市が『科学研究・文化都市』を標榜し、共通点が多いことから友 好都市提携となり、近年ではいちばん身近な交流を行っている。(松本市公式HP)」のだそうだ。なにかこじつけのような気もするが・・・・。ランファンは 勤め先も関係が少しあり,「そうか,ランファンは「科学・研究・文化都市」なんや」と,改めて感心してしまった。
 松本市内には多くの在住外国人がいて,約4600人の外国人は,長野県内の都市ではいちばん多く、近年ではブラジル人が飛躍的に増加している(松本市広報課),のだそうだ。
 ちなみに,グリンデルワルドは旧安曇村と姉妹都市関係にあり,現在,松本市と合併したので松本も姉妹都市になっているとのことだった。グリンデルワルドは規模は小さいが確かに松本ににている。あそこもなかなか落ち着ける街だった。

 【タイショウロマン】   まだやるか!>タイトル。
  お城へくる道の千歳橋あたりが気になったので,そこまで戻し,交番の方に入っていった。なわて通りというそうで,「昔の宿場街はこんなんやったか」という 具合で,新しく改築された長屋風のおみやげ物屋や喫茶店などが立ち並んでいた。カエルがシンボルになっているらしく,カエルの大きな石像がたっていた。四 柱神社という大きな神社を通り過ぎると,老舗の蕎麦屋さんもあって,なかなか楽しめそうだ。2時半頃になり,多少疲れたので,喫茶店に入りコーヒーを注文 した。今日は天気が良くて,高地でも結構暑い。

 30分ほど休んで,上土通りへ。川向こうには,倉を改造したようなお店があって,わざわざ橋(一つ橋)を渡って見に行ったところ老舗のコーヒーショップのようだった。「しまった!ここにすれば」と思ったが,さすがに連続でコーヒーはキツいのでパス。
 一つ橋北にみえるレトロ調建物がまたおもしろい。ヨーロッパにありそうなちょっと古めだがおしゃれなアパートメントのようで,後で調べると(またか!)昔の 市庁舎で,今は市営住宅になっているそうだ。ここから北は,大正ロマンというキャッチにふさわしく,古い建物をうまく活かしながら改装して,装いを新たに している。この建物がうまくまわりの風景にマッチした感じだ。さらに進むと,医院が立て続けに現われ,その医院がまた,古いがよく手入れされた3階建くら いの洋館で,△屋根,大きな開放的な窓,ペンキ塗りのすがすがしい壁,それらに新緑の庭木がはえて,これも大正ロマンを十分に思わせるものだった。

【外濠と井戸】
 まもなく外濠が見えてきた。向う岸にはあやめが咲き乱れ,濠には大きなコイがゆったりと泳いでいた。車も少なく,気持ちの良い散歩道だ。
さて,あてもなく歩いているので,次はどこ行こ?ということで,深志橋のあたりで立ち止まって,確かお城の北には旧開智学校があったはず?とマップで確認したら,あるある。
 外濠の北端まで行って,西に折れた。途中,湧き水がぼこぼこ出ている井戸があった。さすがにアルプスの麓だけあって,水量はすごい。あたりは閑静な住宅街で,庭がきれいに手入れされ季節の花が咲き乱れている。家は決して大きくはないが,周囲の風景にマッチしている。 

【嗚呼!学都;開智学校】
 松本神社を越えるとまもなく小学校が見えてきた。現 在の開智小学校である。新しい広々とした学校で,メインの校舎の屋根は旧開智学校屋根の上にそびえる八角形の高楼(前もって写真で見ていたので知ってい た)を模したような塔がしつらえてあって,新しいなかにも伝統をしっかり残しているように感じられた。土曜日の午後3時過ぎだったので,課外授業なのか, 小学生はサッカーの練習をやっていた。

 旧開智学校はそのすぐ北隣にある。しかし!改装中ということですっぽりブルーシートがかぶせられており,姿を見ることはできなかった。改装が終ったらさぞ華麗な姿をみせてくれることだろう。

 旧開智学校は明治6年開校し,新校舎は明治9年に竣工,わが国で最も古い小学校のひとつだそうだ。校 舎の建築は,最高の教育をしようとした当時の筑摩県権令の命により,地元の大工棟粱が設計施工したもので,和洋混交の建築である。現存校舎のほかに30余 室の教室棟が設けられていたそうだ。この棟梁も,「地元にすごい学校が建てられる」と張り切ったようで,東京ほか各地の西洋建築を見て回り,最新のデザイ ンを入れて設計したそうだ。また,地元の人の喜びようも大変だったらしく,なんと,旧開智学校の建設費の7割が松本町民の戸別献金だったという(読売オンライン)。新国家の礎は学問から,と教育に力を注でいこうとする明治新政府の心意気とともに,新しい時代を生きていこうとした明治の庶民の期待がうかがえる。筑摩県権令といい,大工の棟梁といい,明治革命もすごい人間を生んでいったものだ。

 一説によると,明治8年の就学率は全国平均が35%だったのに、筑摩県は72%であったそうだ。(読 売オンライン)。こんなことをインターネットで調べていると,もともと教育熱心な国(水野・戸田藩の頃からか)であったことがうかがえる。S先生の言われ る「風呂焚きをしながら『世界』を読むお国柄」も十分理解できる。松本市は,「岳都」,「学都」,「楽都」をキャッチフレーズにしており,「学都」の意味あいも,新旧の開智学校を見ていると良くわかった。
 

松本ウォーク生活編

【北深志界隈】
 まだ3時半ころなので,付近一体を散策がてらにホテルに帰ることにした。
 旧 開智学校の前の道を東にとり,住宅街に入った。庭がきれいである。良く手入れされているが,職人がお屋敷に入って行ったという感じでなく,主人が時間をか けて丹精込めて手入れした感じで,にぎやかである。ミズキ,ヤマボウシやナナカマドも植えてある。メインは高地らしく栂かなにか思い切って剪定したものが 多くて
楽しめる庭だった。

【再びお城】
 住宅街を南下し,4時前に外濠近くの井戸(北門大井戸という)のところに帰ってきた。

 今度は太鼓門から城内に入り,お城を横に見て夕方の常念岳を写真に撮った。まだ日が高いので,様子はお昼頃とあまり変らない。二の丸御殿跡は発掘調査中らしく,立ち入り禁止となっていた。
 時間も時間なので乳母車を押しながら城内から黒門
を通って帰っていく人や,内濠の端ではどっかりと腰をおろしてお城のスケッチをしているおじさんがいた。またそれを自転車からのぞき込んでいる人もいて,松本人の憩いの場所となっているようだった。

【伊勢町界隈】
 ブラブラとお土産屋を物色しながら,シナノキの通りを下ってきて,牛つなぎ石から伊 勢町通りに入ってみた。ここは新しく計画・改修された通りのようで,道の両側の店も新しくてきれいである。道路脇には水を引いてきて,清流が流れるように しつらえてあって,気持ちのよい散歩道になっている。土地の人にとっては用事した後ちょっと遊ぶようなところになっているようだ。
中央通りに入ってみたり,公園通りに行ってみたり,細かい路地に入ってみたり, 晩ご飯の場所も探しながら歩いた。さすがに蕎麦屋さんが多い。こんばんはやはり蕎麦かな?食べられるかな?,歩きつかれていったんホテルに帰って休憩することにした。(4:40)

【夕食は何に?】
 1時間ほど休憩のあと,夕食場所とお土産屋を探しに再び街にでた。
 路地から大通りに出るあたりに小さなおやきスタンドがあった。おやじが片手間にやっている小さな店のようだった。今日の営業は終了したらしく(ものもなかった),おやじは近所の人と立ち話をしていた。よし,明日の朝ここへ買いにこよう。
 伊勢町通りを通って,女鳥羽川沿いのなわて通りへ行ってみた。6時を過ぎていたのでほとんどの店が閉店していた。まだ歯が痛いので,蕎麦を食べようかどうし ようか迷いながら歩いている。なわて通りの老舗の蕎麦屋さんも閉店していた。これは駅近くまで戻らないとあかんか。ということで,川沿いをブラブラ。近くに ステーキ屋や蕎麦屋もあったが,まだ迷っている。まさかコンビニのたまごサンド?
駅前もブラブラして,結局ホテル至近の蕎麦屋さんにはいった。このお店もなかなかの老舗のようだ。
 そこで夕食は,ゴマ入り冷や奴,マスの甘露煮,もり蕎麦,ヱビスビール。どれもおいしかったが,柔らかいものでも思いっきり噛めないというのには閉口した。 結局今回も,ビールで流し込む羽目になった。帰りにお土産に野沢菜漬を買って,1日のウォーク終わり。この野沢菜も食べられへんやろな。

松本ウォーク生活編

                         2005年5月22日
【おやき】
 お やきは,松本の次の駅の近くにある店がおいしいと聞いていたので,早起きして行ってみようと思っていた。が,起きたら8:30!これはえらいことだと思っ て,そそくさと準備。いつもより早く10分くらいで準備完了。しかし,朝ご飯も気になる(このホテルは朝ごはんの人気投票で全国33位らしい)ので,ゆっ くりすることにした。
 きのう目をつけておいた大名町のおやきの店に行ってみた。お持ちかえり用として冷凍物をかった。蒸したものも買おうと思ったが,駅の近くで買えばええわい,と思って,パス。(これがわざわい)
 

【嗚呼!楽都】
 時間も少ないが,昨日目をつけていた一つ橋近くの喫茶店にいってみることにし た。これは大当たり!アンティーク風の雰囲気といい,若いマスターの物腰といい,とても落ち着ける店だった。あとで調べてみると「まるも」さんで,超有名 な店らしい。サンスイの箱(と思われる)スピーカーから,クラシックのピアノ曲が流れていて,音は,これもアンティーク風で,しゃきっとはしていなかった が,まろやかで店の雰囲気にはあっていた。まことに,「楽都」にふさわしい雰囲気であった。10分くらいしか時間がとれなかったのが残念。後日,こちらの ご主人の半生記をのせたサイトを見つけたのだが,すごい人だった! 

【おやきリベンジ】
 そそくさとホテルに向かい,帰り道に,昨日目をつけていた ホテル近くのおやきのお店を探そうとしたが,よくわからない。残念!ホテルに帰ってから,駅の近くで探そうとしたら,店がまだあいていない!かつ,ホテル のフロントが階上にあがって仕事をしているようで,待たされた。というわけで,10:35分,小走りに駅に向かって,発車5分前だったので,駅でおやきを 物色することもかなわず,断念。ホームの売店にもあったが,スーパー並みの品でどうも食指をそそらない。結局,いろんな要因がかさなって,どうにもフラス トレーションの残るおやき探索ウォークだった。おやきリベンジを誓う!
 ところで,おやきは「おやき」であって,「お焼き」ではないんやね。後日,HPでいろいろ調べていたら,「お焼き」では,信州以外のお焼きのサイトはあったが,どうも信州の「おやき」はでてこない。「おやき」で調べるとたくさん出てきた。 

【エピローグ】
 半日そこそこの松本ウォークは終了した。S先生の推薦に違わず,すばらしい街であった。もちろんまだまだ見るところがあるので,再度訪れてみたい。松本城からは常念岳がくっきりみえたので,そちらにも気をそそられているのだが・・・。今度はおやきリベンジと「楽都」を発見するウォークにしてみたい。もちろん,歯をちゃんと直してから。
 まだこのウォークでは写真をバチバチとりながら歩くというスタイルができていない。次回にはこのスタイルも確立したいものだ。

  8年前の記憶をたどってマップを作ったが、7割くらいはあっていると思う。細かい路地は不明だし、北深志は3割くらいしか記憶にない。

 

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