2022年6月28日火曜日

雨男,九州をゆく II 杵築、豊後高田散歩


  

 5月(2011年5月)に大学時代のサークル同期の幹事で、九州は湯布院で同期会を開催ということになり下見に行きました。2日いましたが、集中豪雨と台風接近でした。雨にふられて退散。
 半年後の本番ですが、幹事のお役目から、さすがにやばいと思って、前日に九州入りして、1日をプライベートな観光にあてました。2011年10月14日、予想通り雨というか、豪雨。今回も「さんふらわあ」できましたが、大分駅前のドトールでさすがに考えました。この雨で観光か?
 とにかく時間をつぶさないといけないので、とりあえずどこか行ってみることに。宇佐神宮とか昭和レトロの豊後高田あたりを考えていましたので、とりあえず電車にのります。

 宇佐まで行かずに途中の杵築でおりました。理由はあまりありません。杵築についてはまったく予備知識がありません。辛うじて、杵築という名前は知っていたが、それも出雲大社の杵築です。また、以前読んだ「八幡神と神仏習合」逵 日出典著、講談社現代新書に杵築というのが出ていたような気がするので、なにかあるだろうと。雨は続いています。

きつき城下町資料館の御所車

雨男、九州をゆく 湯布院、竹田、日田


 

 

  行くたびに雨が降って、雨降りの九州街ブラなどおもしろくもないと思いますが、気になってしかたがないので、まとめておきます。
 大学時代のサークル同期の幹事で、九州は湯布院で同期会を開催ということになり下見に行きました。


2011年5月28日:豪雨。湯布院-長者原-竹田
2011年5月29日:雨のち曇。日田。台風に追われるようにして退散

長篠・設楽原古戦場


                                     2001年9月22日(金)


  2000年に仕事を変わり、2001年は母親の葬儀と、アウトドアどころではない日々が続いておりましたが、初盆を終え、やっと普通の生活に戻りました。
  ここで半ば唐突に長篠です。戦記物のファンでもないし、信長ファンでもないのですが、当時、桶狭間の戦いの延長で長篠の戦いを調べていたと思います。9月21日東京で仕事、23日高浜で仕事で22日がぽっかりあいてしまいました。これ幸いと豊橋で前泊し、行ってみることにしました。長篠城から決戦のあった設楽原あたりを歩きます。

  長篠・設楽原の戦いの詳細はいろんなサイトに詳しく載っていますのでそちらを参照ください。特に、この戦いで信長が採った3000人の鉄砲隊を3組に分け順繰りに発砲する「鉄砲の三段撃ち戦法」が斬新だったがゆえに武田勝頼の「騎馬軍団」を破り、これが「大量の鉄砲を集中使用する日本軍事史上に残る画期的な戦法=戦術革命をおこした」というのが定説になっていましたが、これは疑わしいというのが主流になっています。専門サイトをいろいろ読みましたが、下記が詳しい。
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/mekarauroko/jyuhou_to_rekishi02-01.htm
http://eikorekken.client.jp/collaborate/nagashino/content.htm
オリジナルは下記書物のようです。ボクは読んでませんが…
鈴木眞哉著『鉄砲と日本人-「鉄砲神話」が隠してきたこと』(洋泉社 1997年)
名和弓雄著『長篠・設楽原合戦の真実』(雄山閣 1998年)
藤本正行著『信長の戦争「信長公記」に見る戦国軍事学』(講談社学術文庫 2003年) 

 
【長篠城攻城戦】


■飯田線長篠城駅
 ここで降ります。まずはマップ。この付近の決戦場はかなり広範なので長篠城址、それから電車で三河東郷まで行って設楽原決戦場に行くこととします。
天正3年(1575年)7月9日(グレゴリオ暦)、武田軍は長篠城北方の医王寺に本陣を置き、南東側の鳶ヶ巣山砦他4つの支砦を置いて、徳川方の長篠城を包囲していました。医王寺はちと遠いね。
http://maechan.net/kanreki/ (和暦西暦変換tool)←これは便利


松本ウォーク

                2005年5月21日

松本ウォーク回想編


【プロローグ】

 松本は,昔2回ほどきたことがあるが,下車せず通りすぎただけだった。1回目は覚えている。夏休みの始まりに,研究室のS先輩と越後(会津か?)の荒沢岳経由で越後三山に行こうとして,梅雨末期の集中豪雨にあい,雨をついて途中までは登ったものの,鎖場にであっ
た。 「この豪雨の中,こんなとこを登るんかい!」と意気消沈してしまい,そのまま下山。宿でぼぉーっと一泊した後,時間をもてあまし,「せっかくやから善光寺 まいりをして,帰り道,御岳さんでも行こ」と,小出,飯山,長野とめぐってきた記憶がある。あと1回はどこへいったのか?部の活動のあとで,大糸線で糸魚 川にでた記憶だけはある。
 S先生(S先輩とは違う人)は長野県のご出身で,「松本はおしゃれな洗練された街で,おすすめ」という言葉をいただいていたので,いつか は街をじっくり見てみたい思っていた。今まで,松本は登山基地というイメージしかなく,あの山の中(失礼!)のそれも城下町で,「洗練された」とはどうい くことか?とぼしい経験から,仙台のような街なのか,それとも金沢のようなところか?色々思い巡らせていて,東京出張の帰りに行ってみることにした。

【エントランス】
 昔の記憶では,鈍行に揺られながら入った。山の中から峠のようなところを越えて,視界がパッと開けて,木々の間から街がみえて,「ああ,あれが松本か!」(実際は穂高の辺り)と,長い旅をしてきてやっと到着したという感じで,一種の感動を覚えた記憶がある。
 今回は中央東線の特急あずさ9号で行った。松本へのエントランスの峠越えを期待していたのだが,諏訪,岡谷,塩尻と淡々と通り越して入ったようで,「ああ,やっときた」という感動はあまりなかった。

 そうか,あれは長野からの篠ノ井線だったのか。となると,あの感動は善光寺まいりのあとか?しかし,部の先輩から,「山の中から,ぱっと視界が開けて,うんぬん」ということを聞いていたので,部活の後だったと思うが・・・・?となると,部活の後も,やっぱり篠ノ井線で長野からきたのか?
 地図を引っ張り出して色々眺めていると,思い出した。そういえば,戸隠に行ったことがある。その帰りに篠ノ井線経由で松本にきたのだった。ならば,あと1回 松本を通っているはずだが・・・(茅野で降りて蓼科へいった記憶があるので)などなど,いろいろ昔の記憶を思い起こさせてくれたり,また新たな疑問がでて きたりで,これはこれで楽しいエントランスだった。

 結論は,やはり松本へ入るのは長野から篠ノ井線がよい,ということになりそうである。