2023年2月19日日曜日

十三街道 峠道を登る


 2013年10月14日

 

 これから十三峠越えをします。

 十三峠越えは龍田越えといわれた道の一つで竜田川に行くのが普通らしいですが、龍田大社や、法隆寺、斑鳩に行きたい人が通るのであって、平群に行きたい人は平群に行ったでしょう。今回は平群です。
 四天王寺から計算すると26kmくらいなので、通しで歩ける距離ですが、朝も遅いし、道草するので、「道草のない旅なんて」とて、2日に分けています。


 今回は、前回の終点である心合寺山古墳から、大竹、神立、十三峠までを扱います。(項目数制限に関係で平群みちは分割します)・・・っと、その前に、祭りの季節なので、ルート外ですがコレを捨て置くわけには行きません。こんなことしとって、登れるんかなとは思いつつ、四条あたりの山手の道をブラブラしました。
 

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【番外】瓢箪山と四条

    交野から八尾は遠いんですワ。行くとなると、放出からおおさか東線で瓢箪山、そこから歩き、または、なんと鶴橋まで出て、瓢箪山!生駒に行くのに、どんどん生駒から離れるというのがどうも。住道から生駒平行して瓢箪山という手もありますが、そのバスがまた遅い!今日は放出回りにしました。

 番外ですが、ちょうど布団太鼓(こども)に出会いました。遠くから来たご褒美か。レギュラーガソリン158円というのが、これを書き直している今(2023年)とあまり変わらない。なんかあったのか?

こちらは大人の布団太鼓、準備中かな?もう11時過ぎてます、急がねば。

急がねばと言ってるくせに道草です。おいおい、どこいくねん?段々になった土塀の面白さで。

高いところに来ただけに、眺望は抜群です。
こんな道、通ってる場合ではない。

 

下ります。

枚岡神社祭礼。かなり距離はありますが、理由はなんでもエエねんというところでしょうか。
六万寺あたりまで来たかと思っていたら、まだ四条でした。もう12時ですが、これで峠越えできるんか?



 10.大竹から神立

やっと大竹まで来ました。スタートは心合寺山古墳ですが、それまでにもどこをどう通ったか、道草しながら歩いています。はよ登れや、という思いの一方、それはもったいないという思いも強いですね。


 東に向かってゆったりと上がって行きます。午前中、瓢箪山や上四条をぶらぶらし、歩いて大竹まできて、またブラブラしましたので、もう2時前です。もう登らないと日が暮れます。


道はすばらしく狭いです。好みです。2枚めの写真は、最初の角を南へ曲ってすぐのところを坂の下(西)を向いています。この土塀の道がすばらしい。

 

この角を右に曲ります。角には道標がありました。左 高安・・・と読めますが、下の方はなんて書いてあるのか分かりません。左を登っていくと神立に行き、十分登ったところで山麓道に出合って、結局は十三峠登り口に行きます。調べると高安は高安山でなくて、神立あたりの在所の名前でした。この上に地蔵堂と、 西 平野道 と彫ってある道標があります。

今回は、右(南)へ。

この道は3回通っていますが、実にいい風情。

この角が十三峠の登り口です(14:02)。角をはっきりさせるので、少し通り過ぎて振り返って撮っています。

坂を登っていきます。前を歩く人は登っているんではなくて、後ろ向きに歩いて下っています。こういう人がいると、噂には聞いていましたが、実際に歩いていました!



■もう神立です

この池の向こうは向山古墳です。また瓦窯の跡もあるようです。



登る登る、どんどん登る。小気味良いほど登ります。


振り返ります。すんでいる人はいい眺めでしょうね。夕日はさぞ美しかろう。

坂道には土塀がよく似合う。土塀の道の向うになにやら祠が見えます。

辻の地蔵堂というようです。坂の下からみると、堂々としています。

まだ登るか!     


11.石仏の道

これから山道に入ります。ここは神立茶屋辻。茶屋があったらしい。

石碑にはご丁寧に、在原業平の伝説が書いてありました。気に入った女が手づかみで飯を食っているのを見て、逃げ帰ったのだとか。同じような話は松原の民話にもあり、加藤孜子さんの「下高野街道の昔話-5」にも、三宅、阿保地区に同じ話が伝わっているのだそうです。http://www.city.matsubara.osaka.jp/10,896,53,267.html

我が交野にも似た話があって、その場合は、歌人が「お前みたいな女たらしに娘はよーやらん」と断ってしまう結末でした。今、そのサイトを探して見失ったままです。

ここにも同様な業平話が書かれていますが、「自分で飯をよそう」というかなりマイルドな話になっています。



小さい子供連れのハイカーが下りていきました。こどもは一所懸命ドングリ(か、椎の実)を拾っていてなかなか進みません。

石仏(お地蔵様?)それぞれ個性的な顔をしておられます。おもしろいので全部撮ってやろうと思い、最初の6ペアまでは撮りましたが、なんと、10数メートル毎に出てきて、あきらめました!





また一人ハイカーか下りていきました。現在、14:20。今ごろから峠越えをするヤツはおらんでしょう。


町石もある。四町石です。








と、思っていたら、今度は六町石が出てきました?近すぎ!電柱の向うにあるのが四町石。








セキカメとはなんぞや?よく見ると、「大阪市 ○○○」 ○は、南区西かな?「木材商 関本亀三○」と彫ってあります。それで、セキカメ。生駒山で木材を切り出したお礼で仏像を寄進(というか、勝手に置いた)したのでしょうか。
台座には 「三十番 平井久七」とあります。



石仏の写真は撮らないといいながら、撮ってる。










道標です。「左 いちはら村 右 たつた 道」 と読める。ここから櫟原(いちはら)に行く道が別れたと思われます。しかし、地図をみると、別れた先はかなり急峻な谷です。谷の向うの車道から先には尾根を巻いて谷に下り、さらにP328に至る破線路があります。それに接続しておうと越に行く道でしょうか?ちょっと調べたくなります。




八町石を過ぎてもうすぐかと思ったら・・・










相当上の方にお堂が見えてきました。えらく急な坂で、一気にペースダウン。
  
  







12.水呑地蔵尊

やっと水呑地蔵に到着(14:43)


お堂は836年(承和3)、僧壱演の開基になるもので、本堂には元禄期に作られた地蔵さんが祀られているという(見てません、見えません)。湧水は弘法大師が祈願して湧き出た霊水であるという、よくある「弘法水」伝説。
http://www.xhotzone.net/vh/27a/vh08120104.php

本堂

アベノハルカスがはっきり見えます。さすがに目立ちます。

キタ方面はビルが林立していて、どれがどれやら?


本来の水呑さんの霊水を撮るのを忘れました!本堂南にあります。写真は本堂北側にある手水所。ま、この水でもよさそうな気がします。水汲みに来ている人は、写真左手にある蛇口からポリタンクに汲んで、駐車場まで往復していました。

上から見た水呑地蔵尊のエントランス

水呑地蔵の裏手の門です。ここから十
三峠に上がります。結構長く、予備のパンを食べたり、30分もグダグダしていました。現在、15:15です。もう行かねば。


■結構、高度を稼ぎました。15:22

峠が見えてきました。

15:30峠に到着です。ちょうど、写真に写っている赤シャツのバイクが通りかかりまして、ちょっと立ち話をしました。外人さんで、こっちへ行ったらヤオとか、ここはジューサン峠とか、峠はパスやとか。おまえはオーサカジンか、どこに住んでるかなどと聞いてきました。そうか、交野か、しらんなあ、ワシは八幡に住んでいる、交野は枚方の東か、近いやないか、とか。たわいもない話です。なるほどオーサカジンなどという言い方をするのか。彼は、この平群からの登りが気に入った、花がキレイだった、と言っておりました。どんな花なのか楽しみです。

 十三峠越えは四季それぞれ見所がありそうです。下記になかなかよい写真が出ています。また来たくなりました。http://usagi-s.cocolog-nifty.com/photos/ippon/index.html
 

 


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