「くまなく歩く」シリーズです。
星田の山と谷に引き続き、私市の山と谷から、交野(私部、寺、神宮寺、倉治)後背の山と谷を歩きます。いつものように、谷筋を詰めて行き、尾根を下るスタンスで歩きます。
尾根に上がると交野の市花・コバノミツバツツジが迎えてくれます。
「くまなく歩く」シリーズです。
星田の山と谷に引き続き、私市の山と谷から、交野(私部、寺、神宮寺、倉治)後背の山と谷を歩きます。いつものように、谷筋を詰めて行き、尾根を下るスタンスで歩きます。
尾根に上がると交野の市花・コバノミツバツツジが迎えてくれます。
2013年10月14日
これから十三峠越えをします。
十三峠越えは龍田越えといわれた道の一つで竜田川に行くのが普通らしいですが、龍田大社や、法隆寺、斑鳩に行きたい人が通るのであって、平群に行きたい人は平群に行ったでしょう。今回は平群です。
四天王寺から計算すると26kmくらいなので、通しで歩ける距離ですが、朝も遅いし、道草するので、「道草のない旅なんて」とて、2日に分けています。
2013年10月17日
十三街道に入りました。これからしばらく若江で第2寝屋川を渡るまでは俊徳街道と共通です。
十三街道に従って、上小阪、若江、福万寺、楽音寺、大竹、神立と歩いていきます。今日は時間的に大竹の心合寺山古墳までとします。
福万寺・三十八神社 |
2013年10月17日
夕陽丘、四天王寺-生野ーと歩き、岸田堂で河内に入り、俊徳道(駅名)と俊徳街道をあるいて、菱屋西で十三街道と接続するまでを歩きます。上町台地の高みからだらだらと下って、古代には旧河内潟の入江と旧大和川の三角州のキワあたりをまっすぐ東に至るコースです。要は旧湿地帯で、今歩いてその痕跡が分かるかどうか?
舎利寺の蔵 |
2005年9月18日
失敗ウォークから早1か月,少しは涼しくなったので,残りの竹内街道を歩いてきました。
い つもの通勤時間より早く,7時前に家を出ました。とりあえず前回の終点地・古市にいきます。今度は,靴も,ケイタイも万全です。
【古市にて】
古市着8:30で,時間に 余裕もあることだし,朝ご飯を満足に食べなかったので,古市駅前の喫茶店でモーニングをと思っていたのですが,休みでした。おまけに,そのお店の前のタバ コ自動販売機でいつものPhilip Morrisを買ったのですが,出てきたのは1ミリのキングサイズでした。これはまずいんです。
竹内街道は司馬さんの「街道をゆく」を読んで,一度歩いてみたいと思っていました。お盆休みで,暑さはそうでもなさそうだったので,竹内街道ウォークをしてきました。
2005年8月13日
より大きな地図で
竹内街道 を表示
結果は標題の通りです。では,その顛末をば。
【むなさわぎ】
首尾よく6:00に家を出られたので,涼しいうちにある程度のウォーキングができると思いました。JRの駅にきたところ,あれ?快速電車が・・・!というこ
とで,乗り遅れました。今日は休日ダイヤか!嫌な感じ。次の普通電車に乗って,持ち物を調べていると,メガネ忘れた,ケイタイ灰皿忘れた,あれっ!ケイタ
イに充電ができてない。
気を取り直して,うつらうつらしました。まず南海高野線に乗って堺東まで行きますが,あれ?難波だったか?天王寺だった
か?えーと,難波は近鉄か?ということで,この時点でもう間違ってます。天王寺につく頃,やっぱりおかしいことに気がついて,地下鉄で引き返そうとしまし
たが,それより前に,ということで,中百舌鳥まで行くことにしました。あとで考えたら,阪和線で三国ヶ丘の方が竹内街道に近いということが分かって,がっ
くり。どうも先が思いやられます。
【案の定1・・・】
地下鉄中百舌鳥でおりて,地上へ。7:40でした。だいた
い,地下鉄の階段をぐるぐるっと上がると方向感覚が狂うのです。以前からこの傾向は分かっているので,地上に出て,まずタバコ一服。気を落ちつかせて,方
向を確認します。エー,あっちに南海線,ということは,こっちでOKと,自信をもって方向を定めました。
中百舌鳥から北東方向に1km弱もどって,東に折れます。そうすると金岡神社のはずです。地図では東行の道はけっこう大きな道になってます。
快調に飛ばしていきます。目印のGSを通り越して・・・,何か大きな建物が見えてきました。「しんかなCity」と大きく書かれています。ああ行きすぎ。その先は中百舌鳥の1つ前の駅です。700mくらいオーバーランでした。引き返して東に入る道を探すと,工事中で,地図とは大きく違いました。宅地造成と,どうも,竹内街道の整備も同時にやっているようです。これでは分からん!
2005年8月15日
2008年12月5日
2010年2月24日
こんな名前の道があるわけないですが、昔通った通学の道です。夏、冬、早春の記録
【お説教】
2005年8月15日、イナカへお盆の施餓鬼法要にいってきました。盆と正月といいますが,冬はいけそうもないので,毎年この時期には参加するようにしています。真言宗のこのお寺では読経が終った後,必ずお説教があって,楽しみというほどではないですが,ようやく話が分かるようにはなってきました。
今年のお説教は,おじゅっさん(と,この地ではいいます)の,どうやら母上のご臨終に立ち会った話でありました。「いままで,こういう商売をしてきました
が,実際に人が死ぬ場に立ち会ったのは初めてでありました・・・」という切り出しで,「臨終の間際には,かなりのエネルギーがいるようで,うっ!という呻
く瞬間があって,その後,安らかに眠るように息を引き取る。死出の旅立ちにも,決心というようなものが必要なのだろう。」という,臨場感あふれるお話をさ
れました。いつもはざわざわする聴衆も,しん,と静まりかえって聴いていました。
「そういう体験をすると,いつも死者と相対している僧侶
でさえも,死者にたいする弔いの気持ちがあらためて沸いてくる。これが日本人の素直な信仰心の源泉である。年に一度でもいいから,そういう素直な気持ちを
持ちたい。」「その心は,自分を育ててくれた肉親の霊をおまつりすることに留まらず,他者の死に対しても同じである。この施餓鬼法要も死出の旅立ちを送
り,仏として敬うことで,その心が大切である。」という結びで,説得力のあるお説教でした。
【通学古道】
いやいや,そういうことを書くつもりではなかったのです。法要の帰りにふと思いついて,というか,そうせざるを得なかったので,子供のころ歩いた通学古道ウォークをしてきたのを書くのです。