2023年6月3日土曜日

交野の山をくまなく歩く


 

 

「くまなく歩く」シリーズです。
 星田の山と谷に引き続き、私市の山と谷から、交野(私部、寺、神宮寺、倉治)後背の山と谷を歩きます。いつものように、谷筋を詰めて行き、尾根を下るスタンスで歩きます。

 

尾根に上がると交野の市花・コバノミツバツツジが迎えてくれます。

2023年4月6日木曜日

星田の山をくまなく歩く2017

 2014年9月8日

   六甲山で「六甲山をくまなく歩く」という講演を聴いて、「そういえば星田の山はくまなくは歩いてないなあ」ということで、谷を主体に「くまなく」歩いてみることにしました。大体は谷を遡って尾根を降りる、というスタイルを取りたいと思います。

◆私市の山から見た星田の山々(手前の低い山々)

  ■全体マップ

2023年2月19日日曜日

十三街道 平群みち


2013年10月14日



 これから平群に下ります。十三峠越えは龍田越えといわれた道の一つで竜田川に行くのが普通らしいですが、そんな人ばかりではなかったでしょう。考えてみると生駒山全体が峠みたいなもので、どこかから登って目的地に近い峠から降りていくのが普通だったのではないか?
 「平群みち」 というのがあったのかどうか分かりませんが、平群に降りる道は当然あったと思います。

福貴畑・フラワーロードの辻

十三街道 峠道を登る


 2013年10月14日

 

 これから十三峠越えをします。

 十三峠越えは龍田越えといわれた道の一つで竜田川に行くのが普通らしいですが、龍田大社や、法隆寺、斑鳩に行きたい人が通るのであって、平群に行きたい人は平群に行ったでしょう。今回は平群です。
 四天王寺から計算すると26kmくらいなので、通しで歩ける距離ですが、朝も遅いし、道草するので、「道草のない旅なんて」とて、2日に分けています。


2023年2月18日土曜日

河内・十三街道をあるく



 2013年10月17日


 十三街道に入りました。これからしばらく若江で第2寝屋川を渡るまでは俊徳街道と共通です。

 十三街道に従って、上小阪、若江、福万寺、楽音寺、大竹、神立と歩いていきます。今日は時間的に大竹の心合寺山古墳までとします。

福万寺・三十八神社
 

摂津・俊徳街道をあるく


2013年10月17日


  夕陽丘、四天王寺-生野ーと歩き、岸田堂で河内に入り、俊徳道(駅名)と俊徳街道をあるいて、菱屋西で十三街道と接続するまでを歩きます。上町台地の高みからだらだらと下って、古代には旧河内潟の入江と旧大和川の三角州のキワあたりをまっすぐ東に至るコースです。要は旧湿地帯で、今歩いてその痕跡が分かるかどうか?

舎利寺の蔵

2023年2月16日木曜日

高浜街道・旧周山街道


  2022年5月29日


    久しぶりの北山詣である。いや、それよりも旧周山街道・高浜街道・小浜街道の最初の一歩でもある。
 金久昌業さんの「北山の峠」にならって、若狭に通じる古道を歩く。もっとも、「北山の峠」下巻では京都か若狭・丹後へとなっているので、もちろんその道も歩く。

 2016年10月29日、頭巾山に登るのに引っ掛けて若狭越を始めて、2018年9月23日に改めて京から再開・出発。2022年5月29日にやっと.若狭越のひとつ、高浜街道を歩き終えたので、ここでまとめておこう。

京から高浜までの軌跡
 

2023年2月1日水曜日

俊徳街道・十三街道


 2013年10月14日
2013年10月17日

 

 俊徳街道、それに引き続く十三街道、十三峠越の道を歩きます。一応、大阪アースダイバーに準拠はしています。すなわち、夕陽丘、四天王寺-(俊徳街道)-俊徳道-(十三街道)-若江-心合寺山古墳-大竹-神立-十三峠-平群のラインです。


大竹・心合寺山古墳
 

竹内街道2


 竹内街道古市編  羽曳野

2005年9月18日

 

 失敗ウォークから早1か月,少しは涼しくなったので,残りの竹内街道を歩いてきました。
 い つもの通勤時間より早く,7時前に家を出ました。とりあえず前回の終点地・古市にいきます。今度は,靴も,ケイタイも万全です。

【古市にて】

  古市着8:30で,時間に 余裕もあることだし,朝ご飯を満足に食べなかったので,古市駅前の喫茶店でモーニングをと思っていたのですが,休みでした。おまけに,そのお店の前のタバ コ自動販売機でいつものPhilip Morrisを買ったのですが,出てきたのは1ミリのキングサイズでした。これはまずいんです。

竹内街道1


  竹内街道は司馬さんの「街道をゆく」を読んで,一度歩いてみたいと思っていました。お盆休みで,暑さはそうでもなさそうだったので,竹内街道ウォークをしてきました。

竹内街道失敗編  丹比道     堺-松原ー古市

2005年8月13日


より大きな地図で 竹内街道 を表示

 

 結果は標題の通りです。では,その顛末をば。

【むなさわぎ】
 首尾よく6:00に家を出られたので,涼しいうちにある程度のウォーキングができると思いました。JRの駅にきたところ,あれ?快速電車が・・・!というこ とで,乗り遅れました。今日は休日ダイヤか!嫌な感じ。次の普通電車に乗って,持ち物を調べていると,メガネ忘れた,ケイタイ灰皿忘れた,あれっ!ケイタ イに充電ができてない。
 気を取り直して,うつらうつらしました。まず南海高野線に乗って堺東まで行きますが,あれ?難波だったか?天王寺だった か?えーと,難波は近鉄か?ということで,この時点でもう間違ってます。天王寺につく頃,やっぱりおかしいことに気がついて,地下鉄で引き返そうとしまし たが,それより前に,ということで,中百舌鳥まで行くことにしました。あとで考えたら,阪和線で三国ヶ丘の方が竹内街道に近いということが分かって,がっ くり。どうも先が思いやられます。

【案の定1・・・】
 地下鉄中百舌鳥でおりて,地上へ。7:40でした。だいた い,地下鉄の階段をぐるぐるっと上がると方向感覚が狂うのです。以前からこの傾向は分かっているので,地上に出て,まずタバコ一服。気を落ちつかせて,方 向を確認します。エー,あっちに南海線,ということは,こっちでOKと,自信をもって方向を定めました。
 中百舌鳥から北東方向に1km弱もどって,東に折れます。そうすると金岡神社のはずです。地図では東行の道はけっこう大きな道になってます。
 快調に飛ばしていきます。目印のGSを通り越して・・・,何か大きな建物が見えてきました。「しんかなCity」と大きく書かれています。ああ行きすぎ。その先は中百舌鳥の1つ前の駅です。700mくらいオーバーランでした。引き返して東に入る道を探すと,工事中で,地図とは大きく違いました。宅地造成と,どうも,竹内街道の整備も同時にやっているようです。これでは分からん!

尾藤峠


                          2009年6月24日

 
 尾藤峠が正式名かどうか分かりません。近くに住むものにとっては「峠」といえばココのことでしたから。全英オープンをThe Openというが如し・・・
 丹波/丹後の国境ですが、生活の結びつきは丹後の方が強く、婚姻なども丹後のほうが多かったんではないか?当家の親戚もほとんど丹後でした。高校も大江高校のほうが圧倒的に近いにも関わらずエッチラオッチラ綾部まで行っていた。
 久しぶりに峠越えで河守まで歩いた記録です。

峠を越える

2023年1月31日火曜日

賀茂川ウォーク


京都     賀茂川河川敷    2005年6月3日

 


   用事で京都に行って,時間が余ったので,ついでに賀茂川をさかのぼってみることにした。

2023年1月30日月曜日

通学古道


                          2005年8月15日
                          2008年12月5日
                          2010年2月24日

こんな名前の道があるわけないですが、昔通った通学の道です。夏、冬、早春の記録

【お説教】
 2005年8月15日、イナカへお盆の施餓鬼法要にいってきました。盆と正月といいますが,冬はいけそうもないので,毎年この時期には参加するようにしています。真言宗のこのお寺では読経が終った後,必ずお説教があって,楽しみというほどではないですが,ようやく話が分かるようにはなってきました。
 今年のお説教は,おじゅっさん(と,この地ではいいます)の,どうやら母上のご臨終に立ち会った話でありました。「いままで,こういう商売をしてきました が,実際に人が死ぬ場に立ち会ったのは初めてでありました・・・」という切り出しで,「臨終の間際には,かなりのエネルギーがいるようで,うっ!という呻 く瞬間があって,その後,安らかに眠るように息を引き取る。死出の旅立ちにも,決心というようなものが必要なのだろう。」という,臨場感あふれるお話をさ れました。いつもはざわざわする聴衆も,しん,と静まりかえって聴いていました。
 「そういう体験をすると,いつも死者と相対している僧侶 でさえも,死者にたいする弔いの気持ちがあらためて沸いてくる。これが日本人の素直な信仰心の源泉である。年に一度でもいいから,そういう素直な気持ちを 持ちたい。」「その心は,自分を育ててくれた肉親の霊をおまつりすることに留まらず,他者の死に対しても同じである。この施餓鬼法要も死出の旅立ちを送 り,仏として敬うことで,その心が大切である。」という結びで,説得力のあるお説教でした。

  【通学古道】
 いやいや,そういうことを書くつもりではなかったのです。法要の帰りにふと思いついて,というか,そうせざるを得なかったので,子供のころ歩いた通学古道ウォークをしてきたのを書くのです。

 バ ス停はお寺の下にあります。昨年は11:30ころにちょうどバスがあって,うまく乗れたので,今年もそそくさとお寺を後にしました。(11:15) お寺 の下にくると,バス停の位置が