2022年9月5日月曜日

京道・田辺街道を歩く


 
 2019年に、高浜街道から分かれる田辺街道を歩き終えたので、ここいらでまとめておきましょう。

 田辺街道は京から旧周山街道ー高浜街道と続いてきて、島で別れて仏主峠ー大栗峠wを越して上林・大町に至るルートと、鶴ケ岡で別れて洞峠を越して、古屋ー大町に至るルートがあり、さらに木住峠(鬼住峠)を越えて田辺(今の西舞鶴)の至る街道です。2022年に高浜街道を歩き終え、京から連続したまとめ記事も完成したので、鶴ケ岡まではその記事(下記url)を参照いただき、ここでは宮脇あるいは鶴ケ岡で別れて移行のルートをまとめてみました。


 ベースになった資料は、金久昌業さんの「北山の峠」下巻で、サブタイトルは「京都か若狭・丹後へ」となっています。
※  京から宮脇あるいは鶴ケ岡までの記録(ダイジェスト)
https://zanzara-walkin.jimdofree.com/%E8%A1%97%E9%81%93%E3%82%92%E3%82%86%E3%81%8F/%E8%8B%A5%E7%8B%AD%E8%B6%8A/%E9%AB%98%E6%B5%9C%E8%A1%97%E9%81%93-%E6%97%A7%E5%91%A8%E5%B1%B1%E8%A1%97%E9%81%93/


ルート 日程 区間 コース
木住峠越 2019/12/16 大町ー木住峠ー田辺 木住峠ー岸谷ー田辺(西舞鶴)
2020/3/26木住峠ー岸谷
2019/12/16 大町ー遊里ー木住峠

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洞峠越 2019/4/21
上市場ー古屋 頭巾山-天狗畑-洞峠-古屋−上市場
2019/11/13 古屋ー洞峠ー洞谷 古屋ー洞峠ー洞谷 行き 帰り
2019/10/30 洞谷ー鶴ケ岡ー宮脇 宮脇ー和泉 洞谷ー和泉
2018/5/1
大岩ー古屋ー洞峠
大岩ー洞峠ー天狗畑ピストン




仏主峠・大栗峠越 2017/11/5 大町ー大栗峠 大町−弓削道−大栗山-大栗峠
2019/5/6 志古田道-大栗峠
2019/9/18 上粟野ー大栗峠 上粟野−大栗峠ー堀尾峠ー浅原
2019/10/9 岩江戸−仏主峠−上粟野 大野−仏主峠越え−上粟野
2/019/10/5 宮脇ー岩江戸 宮脇−大野−岩江戸−大野ダム


1.仏主峠越え

■宮脇バス停
ここから出発です。ここは結構重要な分岐点です。ここを東北に行けば、美山・中に至り知井坂を越えて若狭で小浜街道となります。

一方、北に行けば、島で分岐して、西北に行けば大野経由で仏主峠、さらに大栗峠を越せば上林・大町、さらに木住峠を越えて田辺に至ります。これが田辺街道。なお、島で北にいけば鶴ケ岡で西に分岐して洞峠ー大町。そこで田辺街道に合流です。これも田辺街道。なお、鶴ケ岡で東北に取れば、棚野坂あるいは木住峠で名田庄で、高浜街道あるいは小浜街道となります。

■島の民家
中二階(屋根裏か?)の開口部が大きいのが特徴的です。多分、蚕を飼っていたのかと。近くにもう一軒見ました。このお家は民宿(兼レストラン)になっているようで、ビールの幟がはためいていて、あやうくトラップされるとこでした。


■大野の旧街道
並行して新道(府道)が走っていて、沿道には結構大きなお店があります。よい補給基地になります。






■三埜の風景

大野から来た場合、小さな川を渡ってすぐに谷道に入ります。岩江戸までは行かない。この谷道の風景はお気に入りです。沿道の手入れがものすごく気持ち良い。

三埜から西に分かれる谷道を進みますが、尾根に取り付く樹林帯の道がわかりにくい。

■仏主峠
場所は不正確なレポが多いですが、P831の北直下、コンター800ラインが狭まっている辺りです。左(西)から来て、ここで鋭角にターンして右(東)谷を渡っていきます。金久昌業さんの記述と同じです。地理院地図の表記は違います。
峠西側の古道は、谷を渡る場所や尾根筋は比較的はっきり残っていますが、平坦な尾根に差し掛かるとほとんどわからなくなります。電波塔作業道によって分断もされています。
仏主から上林峠を越える道がありますが、街道として使われたかどうかわかりません。

■上粟野

仏主にはバス停もあって、そこでウォーク終了としがちですが、上粟野まで下っておきましょう。ここから大栗峠越えの道が別れます。



1−2.大栗峠


■大栗峠への登り
最初は林道。「植林の広い谷を1.5キロくらい行く」(北山の峠(下)金久昌業)
その林道の屈曲点で峠道に入りますが、平成29年あたりに整備されたものです。基本的に古道を踏襲しているようで、人工臭さはありません。実に美しい。

■中腹のお地蔵さん
時々、古道(旧道)と交差しながら登ります。だいぶん登って、大栗峠まで0.4Kあたりのところでお地蔵さんが現れました。古道取り付きから45分くらいです。峠道周辺は基本、落葉広葉樹林で秋の紅葉時期は美しいだろうなと思いながら登っていました。


■大栗峠

有名になってきた大栗峠のお地蔵さん。昔は石室になっていたようです。右側のお地蔵さんは道標も兼ねています。このお地蔵さんを囲むように峠道が△に通じています。

柔和なお顔!


■志古田道
別途、志古田に下る道も登ってみました。谷道で崩落もあり。少し荒れていますが、楽しい道です。上林から大栗峠に登る京道としては最初に用いられた古道とされています。
写真は尾根トラバースの道で石組みがされています。


■山田道と弓削道分岐点
上林から大栗峠への道はあと2つ、山田道と弓削道があります。右、弓削道、左山田道で、
「文政七申 十月吉日 南無大師遍照金剛 右ゆげ道 左志ろ下」とあります。
志ろ下は城下でしょう。


https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-360.html
「道の精髄」弓削道
金久昌業さんは「整備された立派さではなく、踏み込まれた高い格調と歴史の貫禄」「この道は樹木の美よりも、道そのものによさがある道」
そして、「道の精髄」と表現されています
「北山の峠(下)」。これを読んで一度歩いてみたいと思ったのが上林通いの始めでした。


2.洞峠越え


◆洞谷から洞峠に登る道


   
■鶴ケ岡(旧村)
鶴ケ岡の中心は、今は国道沿いの棚野川右岸でしょうが、橋を渡って南側にくると従来の鶴ケ岡の旧村(でもないか?)らしい風情が残っています。閉じたままの散髪屋さん、ホンマに営業?と思うパーマ屋さんとか。写真は旧鶴ケ岡小学校。こういうの何かに使えないかなあ?

■洞谷
途中の街道筋も興味ありますが、西川の谷最奥の洞谷に来ました(正しくはその口の湯ヶ谷)。ここで府道と別れて洞谷の林道から江戸時代に開削された旧道に取り付きます。取り付きは右手の支谷に堰堤がある所。


 ■洞谷から洞峠の道
今は谷沿いに林道ー作業道がありますが、ぜひ旧道に。岩を穿って洞谷の巻道が作られています。これは圧巻!

■洞谷
ほとんど登った頃にお地蔵さんが祀られていて、その前が洞谷の核心部。横を旧道が通ります。

 

 

 

■洞峠直下の旧道部分
旧道は峠直下の平坦部で作業道に合流しますが、峠部分では古道跡が残っています。
峠では交流会の看板がにぎやかです。



■洞峠古屋側の展望台
見えているのは天狗畑。
古屋側の道は洞側に比べてずっとおとなしめです。基本尾根道でジグザグに下ります。紅葉はおすすめ。

 

■古屋
古屋まで30〜40分で下れます。途中、お地蔵さんが2体。
古屋はおばあさん2人を入れて3人がお元気に暮らしておられるようです。
https://www.pref.kyoto.jp/co-kyoto/goout/210901.html
さて、あと約8kmで大町。



3.木住峠越え



■大町

ここ大町三叉路からスタート。上林の中心みたいな所です。この建物は、大丸マークがありましたが、よく見たら「太」○囲み!フトマル?最近、ショップか何かに改装中でした。

■遊里から谷に

肥刈谷でよいのかどうか?谷が2つに分かれる手前に上遊里の地蔵祠がありました。2022年春に通ったときには祠は崩壊、お地蔵さんは埋もれたようです。





■木住峠(丹後側からは鬼住峠)
「左 たなべ 右 志みづ」の道標があります。道標はもう1⃣基、 峠の手前で倒れた道標があります。「左 山みち 右 たなべ」紛れもなく田辺街道です。その付近には〇〇菩薩と読める石碑もありました。

■丹後側の道には難儀
問題は丹後側の道です。下りの最初は明瞭な道型があり小さな谷を渡る辺りまではトレースできました。しかし平坦部に入ると植林のせいでしょうが全然分からず。地図の破線付近を探索しますと・・・・

最初標高の高い方を探索したんですが、単なる急斜面。獣でもずり落ちるようなところを無理やり下りました。






明治陸測図の破線に従って緩斜面を下って崖のヘリに来ますと・・・一応道型には見えましたが、この先、小谷を渡った後は斜面に道型なし。無理やり降りるしかありません。


谷に降りたあと振り返る。ここにどうやって道を作ったのか?あるいは道はあったけど、雪害で流されたとか?


■岸谷

里に降りればホッとします。これで一応は木住峠は通貨(都合2回)





■田辺に着きました
伊佐津川にかかる二ツ橋西詰、京みち・わかさ道道標。
ようやく到着です。
小さなことでも、曲りなりにでも、きちんとやり終えることも重要あると思い直しました。


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